アメリカ/香港 2015
監督 アントワーン・フークア
脚本 カート・サッター
1931年のアメリカ映画「チャンプ」が元ネタ、と言われてますが公式なアナウンスを私は見つけられなかったので定かではなし。
「チャンプ」自体、未見なので対比することは出来ないんですが、あらすじを読む限りでは主人公の子供の性別を男→女にすれば作品の内容そのものはよく似てますね。
ただまあ、わざわざ「チャンプ」を引き合いに出すまでもなくですね、この手のストーリーはよくある、っちゃーよくあるわけですが。
描かれてるのは栄光からの失墜、どん底の境遇を経て、再び光ある場所を目指そうとする1人のボクサーの破滅と再生の物語。
そこに手垢感を感じてしまうとダメかもしれません。
皮肉屋な人なんかは、なんの目新しさもないじゃないか、と冷笑するかも。
しかしですね、私はその手の否定的な意見をあえて蹴散らして、それでもこの映画には見る価値がある、と声を大にして言いたい次第。
なんといっても圧巻だったのはまるでドキュメンタリーでも見てるかのような迫真のリアリズムでしょうね。
なんだこの臨場感、と舌を巻くことは間違いなし。
数々のアクション映画でならしたフークア監督のうまさがこれでもかと炸裂。
監督自身が元ボクサーで試合経験もある、というのも大きいでしょう。
デティールにこだわりながらも、ダイナミックな画作りを忘れない姿勢は、熟知しているからこそすべてをコントロール出来た部分もきっとあったはずだと思います。
あちこちで言及されてるジェイク・ギレンホールの役作りも凄まじい。
体バキバキだわ、パンチはシャープだわ、私のような素人が見てる分には本物のボクサーとの見分けが全くつかない。
アングリーな人物像の演じ方も彼なりの流儀が伺えて、とってつけたような感じがまるでないんですよね。
フォレスト・ウィテカーのバイプレイヤーとしての底力を見せつける演技も見事。
こういうトレーナーって本当に居そう、と思えてくるほどのなりきりぶりにはつくづく感嘆。
子役の女の子が中途半端にかわいくないのもいい。
親バカが真実味を帯びてくるんですよね、いや、ひどい言い方だけど。
でも、そんな絶妙な配役だったからこそ、エンディングの感動もひとしおだったわけで。
はっきり言って予定調和ではあります。
けれど、この親子の姿に胸打たれないとしたら、そりゃもう大事ななにかが欠落してる、としか言いようがないんであって。
わかっちゃいたが涙腺決壊、の最もたる例と言ってもいいでしょう。
王道を行くシナリオを、リアルライヴ感、優れた役者陣、ボクシングというスポーツに対する妥協せぬ写実的描写の三位一体で支えた傑作でしょうね。
夢中で見てしまったよ、私は。