時計じかけのオレンジ

イギリス 1971
監督 スタンリー・キューブリック
原作 アンソニー・バージェス

時計じかけのオレンジ

再度見ても、とても40年以上前に作られた作品だとは思えぬ面白さであらためて感心した次第。

SFと世間では認知されてますが、それほどSFらしいSF、というわけではありません。

むしろ小道具や舞台装置に注目するとどこかズレたものを感じるかも。

注目すべきは71年にして、現代社会の抱える病巣を軽々と予見したかのような内容でしょうね。

いわく浮浪者狩りであったり、貧困層の子供が陥りがちな無軌道な暴走であったり。

意味不明の造語を主人公と同世代の連中の間だけで通じるスラングとして全編に散りばめたのも凄いセンスだと思います。

これって女子高生用語とかとまるで同じだと思うんですよ。

そして何よりも強烈だと私が思ったのは、計算高く、姑息な不良少年でしかないアレックスをロックスターばりにカリスマとして画面に切り取って見せたこと。

どう考えてもどうしようもないヤツなのに、どこかかっこいい、 なんかマネしてみたい、と思わせるって、並のクリエイティビティじゃあできることじゃないと思うんです。

初めてこの作品を見たとき、私も「雨に歌えば」を口ずさみながら誰か蹴りたい、という衝動にかられたりしましたし。

もちろん現実にそんなことはやるわけないんですが、そういう気持ちすら抱かせてしまう場面作りのうまさ、演出の妙がこの作品には間違いなくあったように思います。

ストーリーそのものは因果応報を匂わせ、管理社会に陥ることの怖さを暗示したような風ですが、結局エンディングが示唆してるのは暴力どころか殺人すらも、結局は時の権力者の都合でどうとでもなるという手痛いアイロニーだと思います。

世論やマスコミなんて見せかけの良い美談やもっともらしい正義感でどうとでも転ぶんだよ、という監督のせせら笑いが聞こえてくるよう。

なんかもう社会になにかを期待する方が間違ってるとでも言いたげな毒の撒き散らしっぷりにクラクラしてきそうなんですが、そこにアレックスという虚像を立脚させた手腕は、なにやらカウンターカルチャーの構造そのものを見せつけられているようで私は足元が崩れていくような感覚に囚われたりもしましたね。

やはり時代を超えた傑作だと思います。

誰ももう、同じやり方でこんな映画は撮れないと思う。

怪物のような一作、と私は思いましたね。

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