スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする

フランス/カナダ/イギリス 2002
監督 デヴィッド・クローネンバーグ
原作 パトリック・マグラア

なんともまあ内省的な映画です。

んで、それが誰にとっての内省であるのか、というがややこしいところでしょうね。

精神病患者専門の収容施設だか病院だかを予算の都合で強制退院させられた主人公が、中間施設と呼ばれる寮のような場所で外界と触れ合いながら、自分の過去をたぐる、といった内容のドラマなんですが、端的に言ってしまうなら、とっつきにくいし、わかりにくい。

物語は過去と現在を行き交うように、同時進行でオーバーラップ。

主人公が「見た」と記憶しているものと現実が主観的にない交ぜになっていくので、なにが真実で、どこからが幻覚なのか、監督の意図するものが伝わりにくいんですよね。

主人公の人生を変えた決定的な事件についてもそれは同じで、客観視する目線がないものですから、その動機といい、そこに至る病を発症させたものといい、想像するしかないんです。

私は最初、これはなにかのサスペンスなのか?と勘違いしたほど。

最後まで見て、もう一度反芻することによって、ああ、あれはああいう意味だったのか、とおぼろげながらわかってくるんですが、なにかすっきりしないものは残ります。

クローネンバーグがすごいのってる、というのはわかるんです。

緻密に丁寧に編み上げたのであろうことはファンなら納得だと思う。

でもですね、結局だからどういうことなんだ?というのが私のような粗忽な人間にはよく理解できないんですよね。

環境が人を作るのではなくて、そのパーソナリティに因子があり、それ故不可避な事象もありうる、といいたいのか、それとも精神を病んだ人間に対する行政のふがいなさを訴えたいのか、多分そのどちらでもないんでしょうけど、ちょっと自分の世界に埋没しすぎちゃったのでは、と思わなくもありません。

抗えぬ哀しみ、は痛切に伝わってきます。

ただそれをこの作品から抽出して共感するには少しハードルの形が特異すぎる。

はまる人はものすごくはまっちゃいそうですけど、私は逆に病んだ精神が題材であればこそ、第三者の客観視する視点が欲しかった、と思いましたね。

余談ですが、副題、全然内容にひっかかってない気が・・・。

同時期に公開されたモーガン・フリーマンのスパイダーと区別するためでしょうか。

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