クライングフリーマン

クライングフリーマン

1986年初出 小池一夫/池上遼一
小学館ビッグコミックス 全9巻

自らの手で人を殺めたあと、感情とは別にどうしても涙があふれてしまう熟練の暗殺者フリーマン、という主人公のキャラは出色の出来だった、と思います。

殺しを生業とする男の悲哀をたったの一コマでこれほど如実に表現した作品はなかった、といっていいでしょうね。

そんなフリーマンがどうしても殺すことの出来ない女と出会い、愛を貫こうとする展開も期待させるものがあった。

殺し屋が妻を娶るために組織に女を同行する、なんて展開はちょっと普通じゃあ考えられないシナリオだと思うんです。

問題はそこから先。

なぜかフリーマンが組織のボスにおさまって、敵対する組織と次々暗闘を繰り広げるという、男一匹ガキ大将、ケンカ上等全国制覇みたいなストーリーになっちゃうんですよね。

もちろん小池劇画ですんで、そこに濃厚な人間ドラマや非合法組織における夫婦の生き様を問う深いテーマがあったりはするんですが、それ以前の問題としてですね、ほとんど騙されたような感じで暗殺者に仕立て上げられたフリーマンはなぜ秘密結社百八竜の長として生きていくことを良しとしているのか、どうして自分を騙した連中を家族などと呼んで結束を貫いているのか、そこがさっぱりわからないわけです。

流れに任せて読んでいると見過ごしそうになりますが、そもそも百八竜は麻薬を日本に持ち込もうとしたマフィアなんですね。

麻薬で生計を立てているような連中にですね、愛だの家族だの絆だの語られたくないわ!と。

ヤクザ映画的なカタルシスがあるのは認めますが、あまりにフリーマンをヒーロー視して描きすぎ、と私は思いました。

後ろめたさ皆無なんです。

それともこれは、人はその環境に染まり、あるべき立場によって変わる、という痛烈なアイロニーだったりするんでしょうか。

わかりません。

うーん、私にはちょっとついていけないですね。

初期設定を小池一夫は忘れてるんじゃなかろうか、とすら思う。

ただ、池上遼一の作画は絶頂期、と言っていいほど冴えまくってます。

カミソリ竜二や白牙扇は強烈なインパクト。

こんなキャラ、池上画伯にしか描けません。

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