カオス・ウォーキング

2021 アメリカ
監督 ダグ・リーマン
原作 パトリック・ネス

パトリック・ネスによるSF小説「混沌の叫び」第1部を映画化した作品。

予備知識無しで見たんで、全く知らなかったんですが、そもそも混沌の叫びシリーズってヤングアダルト小説らしくて。

ああ、メイズ・ランナー(2014~)やハンガー・ゲーム(2012~)の二匹目のドジョウを狙ったのね・・・と。

知ってりゃあなあ。

もう少し警戒して見たんだけど、本格的なのかな?って、結構真剣に見ちゃったよ。

舞台は22××年の未来、汚染された地球を脱出し、別天体へとたどり着いた数百人のグループの新世界での物語なんですが、わかりやすくSF的なのは、この星においては男性の思考が周囲に「だだ漏れ」になってしまう、という設定。

これ、何故か女性には発現しません。

そもそもどういう仕組みで男性のみが精神感応者になってしまうのか、一切の説明がないんでわからないんですけど、下手すりゃこれ、SFコメディのネタだよな、と思ったり。

ま、当たり前に女性は口説けないですよね、この状況だと。

少しでも下心を抱いた時点でアウトなわけだから。

どう考えてもそこから笑いに発展させるのが正しい筋道だろう、と私なんかは思ったりするんですが、ストーリーは意外と生真面目で。

どういうわけか男性のみしか居住していない村プレンティスタウンに、第二次移民船の先行調査隊が不時着し、生き残った少女と村の少年が、周囲の反対を押し切りボーイミーツガールな助け合いでもって、約束の地ファーブランチを目指す、という展開でシナリオは進んでいきます。

若さが危なっかしくてハラハラしちゃうよ!素敵にアドベンチャー!!だったのかよ、って。

で、いかにもな悪役プレンティスを北欧の至宝マッツ・ミケルセンが演じてまして。

この手の類型的に強権なキャラクターなんざ他にいくらでもお似合いの人材いるだろうが!と思うんですけど、なぜかマッツでテンガロンハットで西部劇風なのが序盤にして意気消沈させる要因になっていたりもして。

とりあえず、なんだか辻褄があわない、理解しがたい物語作りの連続ではありましたね。

まずは「誰もたどり着けてない」と強い覚悟を問われたファーブランチに、二人は難なく到着しちゃうし。

さらにはファーブランチとプレンティスタウンの力関係がなぜこれまで均衡を保てていたのか、全くわからないし(お互いに不可侵である、みたいな感じだったんですよ、序盤では。中盤であっけなく侵略しちゃうし)

そもそもプレンティスタウンに女が居ない理由自体が「馬鹿なのか?」としか思えぬ愚策で凶行だったりしますし(それをわかっててプレンティスについていく村人とか、生まれつきの奴隷なのか?としか思えない)

すごく重要っぽい先住民の存在が、放置されたままなんの言及もなされぬまま終わっちゃうし(続編でやるつもりだったのかもしれないですけどね)。

とにかく「抜け」だらけ。

これが原作由来のものなのか、編集の仕業なのかはわからないですけど、雑すぎやせんか?と。

ラストバトルさえ盛り上がりゃいいのかよ、って。

男性の思考がだだ漏れになる場面を可視化したシーンはそれなりに面白かったんですけどね、ほんとそれだけ。

倦怠期の夫婦の非日常を泥棒映画に置換した秀作、ロックダウン(2021)を撮ったダグ・リーマンの仕事とは思えないですね。

この手のライトなSF感覚が今のアメリカの若い世代にはうけているのかもしれませんが、筋立てまでライトでルーズにしちゃったら駄目だろう、と。

同じパトリック・ネス原作の怪物はささやく(2016)は傑作だったのになあ・・。

なぜ、こうなる?

スパイダーマンのトム・ホランドが主演してる、という話題性でしか見れない一作じゃないかと思いますね。

おそらく2作目、3作目の構想があったんでしょうけど、こりゃ続きはなさそう。

凡作。

スケールの大きさは好きなんですけどね、話が断絶気味に飛びすぎでしょうね。

余談ですが、企画の初期段階ではチャーリー・カウフマンがかかわってたみたいです。

カウフマン、ふざけすぎて外されたのかなあ。

いっそのこと、あえて全部任せてみれば予想外にアクロバットな作品になったかも、と思ったりはします。

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