2020 アメリカ
監督、脚本 エメラルド・フェネル
元医大生なのにも関わらず、バイト生活な日々で実家に寄生してる妙齢の女性キャシーが繰り返す不可解な行動と、その結末を描いたビターなドラマ。
ま、売らんがため、ってのはわかるんですけどね、これを「復讐エンターティメント」と言いきってしまうのは、ちゃんと見た?と問いかけたくなったりはしますね。
近年流行したいわゆるヒロインアクション、アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ系のリベンジものとは趣を異にすることは間違いありません。
肉体的に強者である男性を、華奢な女性がコテンパンにしてスカっとするタイプの映画では決してなくて。
・・・しかし、なんでスカッとするんだろうなあ。
強い女はみんな好きだと思うんですけど、女性が実力行使でリベンジする映画って、強い女を描いた作品とは微妙にジャンルが違うような気もするんですけどね、結局、世にドMな男性はかように多い、ということなのか。
わかんないですけど。
話が逸れた。
本作がテーマとしているのはジェンダー。
男性優位社会そのものを女性目線でぶった切ってる、と言ってもいい。
そこにありがちなリベンジものにつきものの暴力は介在しません。
もうね、見ててどんどん空恐ろしくなってきます。
特にイケイケのナンパ師や、下半身がコントロール不可な男性諸氏は自己肯定に躍起になるんじゃないでしょうかね。
もう、ありとあらゆる言い訳を用意してキャシーを否定しそう。
序盤はね、はっきりいって「なにやってんだこの女?」って感じなんですよ。
彼女の奇行が何かを解決に導くとは思えないし、それで世の中が変わるとも思えない、どっちかというと捨て鉢にすら見えるんですよね。
それが徐々に意味を持ち出すのは中盤以降。
凄絶な過去が、主人公を嫌がらせ同然の行動に駆り立てていたのだ、と我々は知る。
つまるところ、本人自身がどうしていいかわかってないんですよね。
わかってないんだけど、このまますべてをなかったことにしてやり過ごすわけにはいかないというジレンマだけが心の奥底にある。
着地点が存在しないんです。
言うなれば騒音おばさんやゴミ屋敷の住人みたいなもので。
どうすることが主人公にとって救いになるのか、見当もつかない状態。
で、監督がすごかったのは、どこへも向かいそうにない物語を「わずかばかりの希望」という妙薬でもって筋道をつけてやり、そのあと再び叩き落としたことにあって。
ない夢を見させて、本人の行動に指向性と落とし所を発見させるというとんでもないウルトラCをやらかしてまして。
いやはや、なんたるストーリーライティングか、と。
恐ろしく残酷なんですけどね、それが本人を開眼させ、結果、物語に血が通い出すんだからまさに妙手という他ない。
終盤の展開は怒涛の一言。
あまりにもショッキングな終幕にといい、これで何も伝わらないのだとしたら男性は皆、宦官にでもなりゃいい、とばかりの毒の吐きっぷり。
描かれてるのはマッチョイズムに汚染された男性の性衝動のだらしなさと、その犠牲になった女性の憤り。
これを「だけどそういうものでしょ、男って」と言ってしまう人が一定数いるのは確かでしょう。
けれど「それでは済まされない」と考える女性の声にならない声を拾い上げたことこそが、この映画の肝であって。
この内容で、キッチュに洒落てて少しばかりのユーモアもある、ってのがとんでもない、と思いましたね。
普通なら、社会派を気取って深刻さと重々しさで真面目にやりそうなテーマだと思うんです。
でもそれだと多分、女性の共感しか得ることができない。
孤立無援の女性が最後に選択したことを、トラブルの体を装って締めくくったからこそ私達はヒヤリとさせられたんであって。
しかも、同性さえすべて味方とは言えない、と思わせる描写すらある念のいれようだったりするんですよ。
いきなり喉元に匕首を突きつけられたような気にさせられる一作でしたね。
この映画が20年前に存在してたら、無理矢理にでも見せてやりたかった連中は周りにいっぱい居た、と変なことを考えたりもしました。
デビュー長編でこれだけのことがやれたら文句なしですね。
後味は決して良くないですが、女性監督ならではの視点が活きた傑作だと思います。
唸らされましたね。