2020 日本
監督 廣田祐介
原作、脚本 西野亮廣
まあ、一言で言うなら「あざとい」でしょうかね。
大雑把に分類するならディストピアを描いたファンタジーなんでしょうけど(童話だしね)、もうとにかくね、主人公、事あるごとに「泣きすぎ」だし、「泣く」演技でお涙頂戴を欲しすぎ。
そうまでして感動させたいか、みたいな。
そりゃ感動ポルノって言われるわ、と少し納得したり。
アニメそのものの仕上がりに文句はないんです。
なんせスタジオ4℃の制作ですしね、美しい映像は言わずもがな、どこか異国情緒すら漂う世界観の構築には舌を巻かんばかり。
やっぱり脚本と言うか、原作のせいなんだろうなあ、きっとこれは。
西野亮廣がどこまで口を出してるのかわからないんですけど、そもそもね、父をなくした主人公がゴミ人間を友として逆境を跳ね返していく、というストーリー自体が70年代調感傷劇(みなしごハッチとか、てんとう虫の歌とか思い出した)をわざわざ昭和の資料庫から引っ張り出してきたのか?って感じの古臭さですし、そんな主人公を取り巻く人達(みんな貧乏人で抑圧されてる)がいい人ばかり、ってのもほんと当時のテレビアニメの鉄板の構図でね。
特に小賢しいのか主人公の母親。
車椅子で体の具合も良くないのに権力に立ち向かう気骨があって、肝っ玉母さんって、いったいどこまで最大公倍数な共感を欲してるんだ、と本気で冷めた。
まー、計算高い。
ドラマを盛り上げるための素材とキャラクターの相関関係には細心の注意を払った、みたいな。
問題はそれが徹底的にクサいことにあるんですけどね。
なんか全部が記号だな、と思ったりもしましたね。
情動を揺さぶるための仕掛けはこれでもかとばかり誘爆連鎖してるんですけど、一皮剥いてみたら登場人物全員が空洞化してるようにも感じられて。
どいつもこいつも与えられた役柄を全うしてるだけのような気がしたり。
ま、えんとつ町が何故生まれて、主人公はそんなえんとつ町の旧態依然とした体制にどうやって一矢報いたのか?のくだりは悪くなかったと思います。
閉塞した現代社会に風穴を開ける勇気を俺たちも持とうぜ!みたいなメッセージ性があまりにも顕著で辟易した部分もあったんですけど、終盤を飾る「絵」として良く出来てる、とは思った。
プペルは何者だったのかを明かす、種明かしというか、オチはろくでもないんですけどね。
伏線も布石もあったものじゃなくて。
なんで最後にあんたが出てくる?と私はマジで「見落としがあったのか?」と考え込んでしまった。
これだけ用意周到に作り込んでおきながら最後の最後でご都合主義、ってのがほんとすごいな、と。
あと、序盤でカリオストロの城というか、未来少年コナンばりのジェットコースターな立ち回りが結構な長さであるんですけど、これ、観客が何もわからないうちから遊びすぎ、と私は思った。
こういうのは物語の舞台がもう少し輪郭を帯びてから、もしくは中だるみしそうな場面でやるべきことであって。
なに余裕ぶっこいてるんだよ、と。
初めて書いた童話がこれ、と考えるなら、決して悪くはないのかもしれません。
けれど劇場アニメとして対峙するなら、したたかな計略が激しく匂い立つ割には素人っぽさも見え隠れしてるなあ、と。
とりあえず台詞回しは再考の余地ありですね。
子供がこのアニメを見て面白かった、というのを否定するつもりはさらさらありませんが、私の感覚では宮崎駿と藤子少年漫画のハイブリッドになるはずが、なぜか全く別の暗渠に迷い込んで出れなくなってしまってる印象ですね。
西野亮廣はあんまり人間に興味ないのかなあ、とちらっと思ったりもしました。