薄氷の殺人

中国/香港 2014
監督、脚本 ディアオ・イーナン

関わった男を、次々と死に至らしめる謎の女を探る元刑事を描いたサスペンス。

「これを普通にサスペンス(ミステリ)と呼んで良いのか?」みたいなアオリ文句をどこかで目にしたような記憶があるんですが、その点に関しちゃあ、あんまり期待値上げない方がいいです。

殺人事件の謎を暴くことを主眼に、その裏側に潜む人間模様をあぶり出すことがテーマだったんでしょうけど、別段それが珍しい手口、というわけでもない。

いわゆるノワールと呼ばれる作品は大抵がそうですし、60~70年代の日本映画や推理小説は、その多くが人間関係のドロドロ、人のどうしようもなさを綴ってましたしね。

目新しさを感じるなにかがあるわけじゃない。

私なんかはむしろ、どこか懐かしさを覚えたりも。

この作品に温故知新があるとすれば、舞台が中国で、現代の中国人を描いていることにあると言っていいでしょうね。

目立って中国共産党をやり玉に上げてるわけではないんですけどね(そんなことをやった日には公開すらおぼつかない)、登場人物の行動の端々や、街の様子から、管理社会に生きる人々の閉塞感がどことなく伺い知れるのが興味深い。

それは印象的なラストシーンが見事象徴してたりもするわけですけど。

最後まで見ると、原題「白日焔火」の意味が理解できて唸らされるんですが、そこはさておき。

とりあえず出てくる人間、どいつもこいつもろくでなしばかりです。

主人公は警察を追われて警備員やってるんだけど、生きる目的を見いだせなくて酒浸りだし、ヒロインが務めるクリーニング店のオヤジは隙きあらばヒロインに手をつけようとするド助平だし、警察のかつての同僚は割といい加減だし(どこか公務員根性丸出しなんですよね)、肝心のヒロインも魔性の女なのかな?と思いきや、見進めていくと、割と損得勘定のできる腹黒いやつだったりもしますし(そこは異論あるかもしれませんが)。

総じてみんな泥臭い。

なんだか、みんな貧しかった頃の、日本の下町の光景を振り返っているかのような(そこは決して三丁目の夕日とかではなく)。

子供の頃、長屋暮らしだった私がどうにか伝わるレベルなんで、若い人は全くわからないかもしれませんけど。

で、貧しさってのはえてして人間を腐らせてしまうもので。

人々に不思議な協調性があったりはするんですけどね、なんかもうどうしようもないな、ってのが匂い立ってくるよう、といいますか。

けれどそこに「でも人間ってそもそもそんなに立派なものじゃないよね?」とした諦観があるようにも私には感じられて。

現代日本ではほぼ失われてしまったルーズさ、いい加減さが通念的に許されてたりするんですよね。

それでいてなおも「救いきれぬ哀しみ、人の業」が見えてくるからこそ、この映画は胸を打つんであって。

ネット社会に蔓延する紋切り調な正義感や、清潔さ、現代的倫理観で量れるようなものじゃないんですよね、そもそもが。

しかし、こういう映画が中国から登場してくるとはなあ。

反権威、反権力を標榜し、自由を求め戦い続けてきたかつての日本の映像作家と、共産党の圧政に苦々しい思いを抱いている現代中国の映画人はどこか似ているのかもしれません。

なんともやるせなく、やり場のない思いが行き場を失ってしまう悲しさに包まれた映画ですが、私は奇妙なシンパシーを抱いてしまいましたね。

長回しの多用や、共感できる人物が全く登場してこないことが好みを分けるかもしれませんが、欧米の作品と比べても遜色なく質は高い、と思います。

突然、派手な色使いを差し色とばかりに暗い色調の映像に割り込ませてくるのがなんか独特でしたね。

ニコラス・ウィンディング・レフン監督が引き合いに出されるのもわかる。

秀作だと思います。

検閲でいくつかのシーンがカットされたのにも関わらずこの出来、というのが素晴らしい。

語弊があるかもしれませんが、はかなげな美しさがあるんですよね。

韓国映画見てると文化の違いを感じたりすることが時々あるんですが、この作品に関してはどこか地続きなような気がしました。

あ、ちなみに謎解きそのものはそれほど驚かされるものじゃないです。

なんとなくそんな気はしてたけど、やっぱりなあ、って感じ。

あと、完全に余談ですが、中国の電車の座席はすごいことになってるぞ。

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