弥次喜多 in DEEP

1997年初出 しりあがり寿
エンターブレインビームコミックス 全8巻

真夜中の弥次さん喜多さん(1994~)の続編。

前作で物語は、一応の落とし所を見つけはしたものの、旅の終着点である「お伊勢さん」にはまだ到着してなかったんで、続きが描かれることに大きく違和感はなし。

もう終わってるじゃん、どうやって続くわけ?みたいな不信感はなかったですね。

むしろ、待ってました!って感じ。

たった2冊で描ききれるようなスケールの内容じゃないな、と私自身、思ってたんで。

DEEPとタイトルに冠せられただけはあって、各話の出来栄えもグレードアップ。

常軌を逸してシュールでナンセンス、デタラメにカオスで幻覚的。

こういうスタイルの創作って、多くが自家薬籠中の罠にはまって、独りよがりで読者無視な内容になりがちなんですけど、アートだとか前衛に逃げずにきちんとエンターティメントしてるのが本当に凄いな、と。

こんなの、どうやって落とすんだよ・・・と思えるようなお話にきちんとオチをつけていくストーリーライティングの妙は前作以上。

前半の白眉は、間違いなく「幸」(1~3話)。

なんで弥次喜多で、ゴミの山から命を拾おうとする再生のSFファンタジーを読まねばならんのか、と。

多くのSF漫画家がやろうとしてできなかったことを、たった3話で安々と形にしてるじゃねえかよ、と震えた。

「晩餐会」(1話~5話)も出色の出来。

もうこれ、単体で映画にできるレベルのシチュエーションスリラーですよ。

ホラーはだしな恐怖が粘着質にまとわりついてくる展開が素晴らしい、の一言。

「蓮と石段」もなんかわからんが好き。

自分がよくわからないんですけど、この話、ほろほろと泣けてくるんですよね。

入滅をこんなふうに描いた漫画って、なかったんじゃないか、とすら思う。

後半は「オソレの湖」(1話~2話)をずっと引きずってる感じ。

ほとんど永井豪の描くカタストロフなSFバイオレンス状態。

このあたりから幾分、きな臭くなってくる。

大丈夫なのか?と不安になってくるほどに弥次喜多をさしおいて物語が暴走し始めるんですよね。

そして肝心のエンディングなんですけど、あー、もうなにも出てこなくなったか、って感じ。

いつしか物語が千年宿の息子のストーリーにすり替わっちゃってて。

で、このオチって微妙に反則。

もちろん弥次喜多はお伊勢さんにたどり着いてません。

お伊勢さんに辿り着くことこそが帰結なのは間違いないんで、そういう意味では逃げた、と言われても仕方がないかも。

枯渇しちゃったんだろうなあ、と思います。

この物語って、アイディアと着想、しいては想像力が全てなわけですから。

何年にも渡って「誰も見たことがない景色」を創造し続けるなんて、そもそもが無茶な話ですしね。

できうることなら、陳腐になってもかまわないからお伊勢さんに二人をたどり着かせてあげてほしかった、と思うんですが、多分もう限界だったんでしょうね。

幻想文学の領域にまで手をかけた大作、と認めるにやぶさかではないんですが、どこか未完な印象もつきまとう尻すぼみ気味な一作、といわれても否定はできないかと。

本筋とは別な部分で、異次元な旅の日常が、とんでもなく狂ってるのにドラマチックだったりするんで、読まずに捨て置くにはあまりに惜しい、とは思うんですけどね。

誰もこんなことをやってないのは間違いないんで、旅は終わっていないことを承知の上で読む、というのもあり。

しりあがり寿という異能の漫画家の頂点がここにあることは間違いないです。

タイトルとURLをコピーしました