ア◯ス

1998年初出 しりあがり寿
ソフトマジックレヴォルトコミック

さてこのタイトル、どう読めばよいの?ってところからまずは悩むわけで。

多くの人は「きっとアリスだろう」と言ってるみたいですが、作者自身は「アマルスと呼んでます」などとすっとぼけた事を言う。

アヌスに決まってるじゃん、ガハハと笑うオヤジギャグな連中はどうでもいいとして、そんなタイトルに対する違和感が、そのまま内容にも反映されてたりする。

「トモダチ探し」に懸命な少女の、夢とも現ともしれぬ精神世界?を描いた作品なんですけど、はっきり言ってかなり狂ってます。

デタラメで脈絡のない展開は作者のお得意とするところですが、それが不成立な会話劇や、求めても求めても望むものを得られぬ徒労感、孤独、不安を暗示するような描写に終始していたら、それは「狂気そのものの具象化」に他ならないんであって。

シンプルに「病んでる人の内面」を綴ってる、といっていいかも。

トモダチってのは結局の所、普通でありたいんだけど普通がわからない、普通でいられない少女の心の叫びをキーワード化しただけであって、早い話がなにかをこじらせちゃってる、ってことだと思うんですね。

これが原因の特定できる病から発せられるものなのか、青春のはしかみたいなものなのかはわからないですけど、テーマそのものは、24年組は言うに及ばず、多くの女流漫画家たちのペンによって作品に昇華されてきたものだと思うんです。

ゆえに通読のしんどさの割にはさして新鮮味はない。

男性の描き手ゆえの露骨さ、即物的な忌まわしさは加味されてますけど、それが効果的だったようにはあまり感じられなかったのもマイナス点。

どうあれ、なぜあえてしりあがり寿が少女を主人公にして、その未成熟で壊れそうな深層心理を描かなきゃならんのか、と。

ポランスキーの反撥(1964)にでも触発されたのか?と。

読む人の年齢にもよるかと思うんですが、なんかもう私は色々と気塞ぎで。

だってね、こんなの仮にトモダチがみつかったところで解決したりはしないんですよ。

問題の根っこは絶対別のところにあるんだから。

で、肝心の結末なんですが、多分、一人抱え込む痛苦を捨て去る、何らかの方法で封印することが大人になる、ということであり、それが憎らしくも現実であって、どうにもやるせない、みたいなところに着地するしかないんだろうなあ、と思ってたらそのとおりだったんですけど、予想外だったのはその手段。

まさか物理的手法でもって安寧を得るとは思わなかった。

それが物語の事実であり、真相だった、ということなのかもしれませんが。

だとすると、色々意味が変わってくる、と思ったりもするんですけど、まあ、いいか。

カッコーの巣の上で(1975)を思い出したりしましたね。

ま、野心作だとは思いますし、伝えたかったこともわからなくはないんですが、2回読みたいとは思えない漫画ですね。

どこかでバイブル化してそうな気もしますが。

瀕死のエッセイスト(1993~)と同じでハマる人は猛烈にハマると思いますが、私はちょっと苦手。

タイトルとURLをコピーしました