ヒゲのOL薮内笹子

1986年初出 しりあがり寿
竹書房バンブーコミックス

真実の愛を見つけるまでヒゲを剃らない、と誓ったOL薮内笹子の伴侶探しを描いたギャグ漫画。

私が初めて作者の漫画を読んだのはこの単行本だったんですけど、ぶっちゃけ天才か!と思いましたね。

画力に関しては色んな人が言及してて、実はうまい(手塚治虫:談。本気かよ、神様)とか、ひでえ(西原理恵子:談)とか、色々言われてますけど、つまるところ、普通にヘタウマで書きなぐり気味なんじゃねえか?ってのが現時点での論調かと思うんですが、もうね、そんなの脇に置いといて全然構わないぐらい設定とプロットがぶっ飛んでると言っていいんじゃないか、と。

誰が「ヒゲ」を剃らないOLの「愛」の物語を描こうと思うのか、って話ですよ。

何をどうしたらそんな発想が浮かんでくるのか、ほんと頭の中を覗いてみたい。

真面目に考えるならね、容姿にとらわれぬ美しい心を持った男性は、はたして現代に存在するのか?を哲学的に追求しようとしてる、などといった考察も成り立つんでしょうけど、薮内笹子本人がどう見ても絵的に宝塚歌劇団ですからね。

タカラジェンヌそのものをあざ笑い、茶化してるのか?という穿った見方もできなくはない。

ただ、それ以前になぜヒゲなんだ?という疑問が大きく物語には横たわっていて。

最初から拒絶してる、ともとれるわけですよ。

世に性向の偏ったマニアは尽きぬとも、ヒゲの女を好む男なんてまず居ないんであって。

つまりはすべてが一人芝居である、とも解釈できるわけです。

では何ゆえの一人芝居なのか?といういきさつなんですが、これ、ひょっとしたらジェンダーレスを旗印として一人立ち上がった女の革命の狼煙なのでは?と私は思ったりもしたんですね。

ただし、本人にその自覚はない。

何かが違う、と感じたことを、ヒゲという至極男性的な性差の象徴に託してみただけ。

で、この漫画がすごいのは、それを「すでに答えが出ている」と示唆してる点にある。

見たままです。

珍妙で、笑いにしかならない。

私は性の多様性が受け入れられる社会が実現することに賛成する人間ですけど、じゃあなにが最大のネックになってるのか?を考えた時、多くが既存の「らしさ」の模倣になってる点にあるのでは?と勘案したりもするんです。

枠組みにとらわれないように生きるはずが、その先に待っていたのは別の枠組みだった、みたいな。

まず、そこを壊していかないと次の地平は見えてこないんだけど、現実はほとんどがヒゲのOLになっちゃってるよね、と作者は語りかける。

なんだよこれ、80年代にして先駆的な神がかり的作品じゃねえかよ!と興奮したんですが、はい、わかってます、考えすぎですね、すいません。

私の世迷い言はどうでもいいとして、どちらにせよ狂ってるのは確かですね。

狂いすぎいてて腹が痛い。

なんだか哀愁漂ってたりするのがまた腹に来る。

ばかばかしさが激しく狂喜乱舞する怪作、80年~90年代におけるギャグ漫画の金字塔と推す次第。

ちなみに竹書房から続ヒゲのOL薮内笹子が2冊刊行、その後0年代に真ヒゲのOL薮内笹子がエンターブレインから3冊刊行されてますが、一番インパクトが強くてキレまくってるのはこの一冊。

ぜひご家族でご賞味あれ。

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