オーストリア 1983
監督 ジェラルド・カーグル
脚本 ジェラルド・カーグル、ズビグニェフ・リプチンスキ
オーストリアに実在した快楽殺人者、ヴェルナー・クニーセクをモデルとしたサイコサスペンス。
国内では90年代に「鮮血と絶叫のメロディ/引き裂かれた夜」のタイトルでVHS化されましたが、その後長らくメディア化されることはなし。
本国オーストリアでは1週間で上映打ち切り、さらにはヨーロッパ全土で上映禁止、アメリカではXXX指定を受けたといういわくつきの作品なんですが、話題性以上にその入手困難な状況からマニアの間では幻の一作として扱われていたんですけど、2020年、突如日本で劇場公開。
2021年にはめでたくDVD化もされたわけですが、まあ、正直言ってこの映画の何がそれほどまでに関係者の対応を過敏にさせたのだろう?と思わなくはないですね。
どちらかというとサスペンスというよりはドキュメンタリー(モキュメンタリーでもPOVでもよい)に近い感触を受けるんですが、残虐度や血飛沫の撒き散らし具合にかけては往年のアメリカンホラーの方が遥かに上。
むしろ目線はひどく冷静で、淡々と殺人者の心理(内面)をナレーションが代弁、補足しつつ、その行動を追っていく感じ。
過剰な演出で変に煽ったりするようなことは一切ありません。
起こったことをそのまま時系列に沿って列挙していくような感じ。
なのでホラー/スリラーファンからしたら、あまりに実務的(泰然自若?)で拍子抜けした、という人も結構いるかも。
ただこの作品、そんな「見てそのまま」な感じがあまりに没感情気味で逆に怖い、と感じる部分もありまして。
なんだかもう観察日記みたいな客観性が顕著なんですよね。
監督はこの無慈悲な殺人鬼に何も感じてないのか?みたいな。
特徴的なのは天地の空間性にこだわった浮遊するようなカメラワークと劇伴。
前者に関しては、ほんと「なぜそのアングル?」と首をひねることしきり。
これを前衛性というのならきっとそうでしょう。
個人的には、別に普通に撮ってもよかったのでは?と思わなくはない。
後者に関しては、非人間的で無機的な印象を深めるのに一役買ってる、といえるでしょう。
なんせ担当してるのはドイツのミュージシャン、クラウス・シュルツ。
プログレがかったシンセサイザー・ミュージック(ミニマル・ミュージック)の草分けとも言える人ですから。
こりゃミスマッチと言う名のマッチングだ、とふと思ったり。
アルバム単独で聴いてると私の場合、眠くなっちゃうんですけど、この手の映画のサントラとしては妙にはまってるような気がしてきたりも。
結局、なんとも率直でどこへも観客をリードしない冷めた作風が、かえって現実味を助長していて忌避感を招いた、ということなのかもしれません。
この作品がブレアウィッチ・プロジェクト(1999)のあとに発表されていたら全く反応は違ったかもしれませんね。
そういう意味では早すぎたのかも。
監督はこの一作のために私財をなげうって製作にあたったらしいですから、よほどなにか思うところがあったのでしょう。
のちにオーストリアで法改正が成立したことを鑑みるなら、一定の役割は果たしたのかもしれません。
また、つい最近、国内でも、法規制の緩さゆえに野放しにされた男が一家を襲った事件があったことを考えるなら、この映画が訴えかけていることはまるで古びていない、とも言えるでしょう。
映画のまま、といっていいような事件でしたし。
2021年にこの作品が復活したことは大きな意味があるのかもしれません。
ホラー/スリラーファン以外が見たほうが、なにかが動き出すきっかけになるのかも、と思いましたね。