アイスランド/デンマーク/ポーランド/ドイツ 2017
監督 ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン
脚本 ハーフシュテイン・グンナル・シーグルズソン、フルダル・ブレイズフィヨルズ

隣人トラブルを描いたサスペンス。
ま、隣人トラブルといっても、その内容は様々で、騒音おばさんみたいなのもいればゴミ屋敷もあるわけですが、本作で描かれてるのは堅っ苦しく言うなら日照権の問題、ですかね。
「おたくの庭に植えられてる樹が大きく生い茂って、うちの庭に影ができる」と隣の住人がクレームつけてきたわけです。
よくある話、といえばよくある話。
そこでさっさと樹木を剪定してしまえばいいものを、細かな言葉の行き違いから主人公夫妻は意固地になっちゃうんですね。
「切るつもりだったけど、そういう態度なら切らない」みたいな。
そこから問題はエスカレート。
隣は敵、みたいな感じで隣人トラブルはどんどん深刻化していきます。
中盤ぐらいまで見て、私が思い出したのはル・コルビュジエの家(2009)。
なんか嫌なオチが待ってそうだなあ、と。
ル・コルビュジエの家の場合は、隣人の得体のしれなさがサイコサスペンスっぽい様相も呈していたので、また微妙に違うのかもしれませんが、一度こじれると元に戻らないどうしようもなさ、ボタンの掛け違いっぷりはよく似てる。
本作におけるキーマンは主人公夫妻の細君で。
数年前に長男が失踪して行方知らずになって以来、情緒不安定気味なんですね。
そのやるせなさが全部隣人への憎悪とすり替わっちゃってるような節がある。
で、旦那も次男もそれを止められない。
物語は次男の別居問題も絡めて進んでいくんで、次男の内面を通してなんらかの解決策を提示する方向で進んでいくのかな?と最初は思ったんですけど、なにやらそれはそれで別問題、といった風なシナリオ構成で、どうにも先が読めない。
こういう題材って、ミステリっぽい味付けを加えないなら、ブラックユーモアっぽくした方が馴染みやすい、と思うんですが、お国柄か、監督の資質か、なんだか生真面目な語り口でして。
見進めていくうちに、だんだんイライラしてくるんですよね。
とりあえず夫は妻の暴走を止めろ、と。
もう、明らかに常軌を逸してるんですよ。
やっていいこと、言っていいことの限度を超えてる。
なのに次男も含めてどこか強気に出れないまま、でして。
そして迎えたエンディング、ろくなことにならんだろうなあ、と思っていたら、案の定、ペシミスティック極まりない酸鼻な展開が待ち受けてまして。
なんなんだ、この後味の悪さは、と。
しかもラストシーンがなんとも皮肉で。
極端なことを言うなら、全部「思い込み」だけですべてが崩壊しちゃったじゃねえかよ、みたいな。
この映画が訴えかけてることはただひとつ、他人を疑う前にまずは自分を疑え、ですね。
なんとも説教くせえというか、宗教的というか。
単に小さな齟齬から生じた大きな誤解を、ビターなテイストで描きたかったのかもしれませんけど、それにしても黒い。
なにがあったんだよ、監督?!みたいな。
しかし、それにしても次男の別居問題が核となるストーリーにほぼ絡んでこないのがよくわからないですね。
このオチなら次男が嫁と揉めてる場面とか全然必要なかったと思うんですけど、何をどうしたかったんだろ?
サスペンスというより、もはやホラーに近いかもしれません。
せめて笑いがあったらなあ、と思うんですけど、この寒々しさは北欧ならでは、かもしれませんね。
嫌いじゃないですが、救いのなさが二度見たいとは思わせてくれない作品。