アメリカ 2019
監督、脚本 スティーブン・マーチャント
世界最大のプロレス団体、WWEで活躍した女子プロレスラー、ペイジのデビューに至るまでのエピソードを映像化した伝記映画。
さてペイジといえば、男性選手中心のWWEにおいて添え物的扱いだったディーバ(女性レスラーたちの総称)の地位を高めた存在として有名らしいんですが、私はさっぱり知りませんでした。
WWEを見ようと思ったら有料動画しかないですしねえ。
よほど興味がないとなかなか手が出ない。
なので私の関心は、ペイジというレスラーの何が他の選手と違ったのか?それを作品を通して知ることだったんですけど、なんだかね、あんまりはっきりとは描いてくれてなくて。
元は家族経営のイギリス弱小プロレス団体に居た人だったらしいんですが、トライアウトに合格してスターダムにのし上がれるだけの特別な才能がどういうものだったのか、映画を見てる限りではさっぱり伝わってこない。
異国から一人アメリカに渡り、厳しい練習に挫けそうになりながらも競争を勝ち抜いたことはよくわかったんですけど、そんなのスポーツの世界じゃどこにでもある話ですしね。
プロレスというのは極めて特殊な格闘エンターティメントですから。
勝ち負けのブックに沿って、対戦相手と協力し合いながら観客を盛り上げる試合をアドリブで構築していかなきゃならない。
単に強いだけではダメ、かといって受け身のひとつも取れないド素人でもダメ、言うなれば痛みの伝わる演技とパフォーマンスで、本気でやってるんじゃないか?と観客に錯覚させるほどのスリリングなライヴ空間を、その場、その場の自己判断で創出していかなきゃいけないわけですから。
もちろんマイクパフォーマンスも重要。
特にWWEでは「しゃべれない選手」は絶対に売れませんしね。
そういう意味では香港カンフー映画のスターたちとやってることは似てるかもしれませんね。
あちらも格闘技を経験していない役者はほぼ居ないですしね。
たとえオリンピックで金メダルを取った選手が入団したとしても「売れるとは限らない」というのがプロレスの特殊性で。
で、わざわざ伝記映画を作るのならですね、その特殊性とはどういうものなのか?こそをつまびらかにしなくちゃいけなかったと思うんですよ。
そうか、ペイジは他の選手とここが違ったから、スターになれたのか!と納得できてこそ、プロレスという見世物の凄みが知らない人へも浸透したはずで。
普通のスポ根映画になっちゃってるんですよね。
また、ドウェイン・ジョンソンがリアリティの欠片もない配役でお茶を濁してて。
ドウェインが元WWEのザ・ロックという人気プロレスラーだったことをご存知の方はたくさんおられるんでしょうけど、だからといって彼が今もWWEに深く関わってるわけでは決してないですからね。
時々、リングに登場してますけどね、まかり間違っても昨日今日登場した女子プロレスラーをバックヤードからリングに送り出したりなんてしないですよ。
2020年現在、ハリウッドで最も大金を稼ぐトップ俳優に、そんな暇、あるわけないだろうが!って。
なんでこんな現実味のない、当たり障りがない作品にしてしまったのか?と思いますね。
WWEはとっくの昔に「うちでやってるのはスポーツエンターティメントだ」って、カミングアウトしてるというのに。
全く格闘技経験のない女の子たちが、体ひとつで生きていくためにトレーニングへ参加する場面とかね、いいなと思えるシーンもあったんですが、終わってみれば、なにかに忖度してるとしか思えない内容でしたね。
序盤の、家族経営プロレスを描写したシークエンスのほうがケレン味があって面白かった、と思えた時点でアウトでしたね、私にとっては。
だから結局ペイジってどういうレスラーだったんだよ、ねえ。