アメリカ 2017
監督、脚本 デヴィッド・ロウリー
旦那が死んで、幽霊となり、妻の周りにまとわりつくお話、となるとゴースト/ニューヨークの幻(1990)が思い出されたりもするわけですが、こちらは胡散臭い霊媒師が現れて二人でダンスを踊ったりなんぞはしません。
ファンタジックな要素やホラー色はほぼ皆無。
旦那の幽霊はただもう淡々と妻の側に居る。
びっくりくりするぐらいなにもできないまま、ただ居る。
で、本当に一切干渉できないという設定が凄えな、と思ったりもするわけですが。
こんなのA24でしかやらしてくれないでしょうね。
約1時間ほどの間、物語は状況経過しか伝えてくれないんです。
しかもほとんどセリフはなしで、放送事故か?と勘違いするような長回しもちょくちょくあって。
感情移入できる人はいいかと思うんですが、なんなのこれ?と懐疑的になっちゃったりすると寝落ちもありうるかもしれません。
私が気になったのは旦那の幽霊のみてくれ。
キャスパー(1995)か、はたまたハロウィンの手抜きな仮装か、ってな「シーツに目の穴」の外観がねえ、ちょっと最後まで馴染めなかったですね。
なんで穴をあけちゃったんだろう、と思うんです。
シーツだけならまだ許せた。
出てくる幽霊、全員目の位置に穴が開いてるんですよ。
気にならない人は平気なんでしょうけどね、私はこれが「安直な幽霊の記号化」としか思えなくて。
コメディならそれでもいいのかもしれませんが、この内容でオバQの元ネタみたいなデザインを真顔で登場させるセンスがわからない。
没個性化を意味したかったんなら、他にいくらでも方法はあったように思うんですね。
終盤の展開も疑問。
監督は時間を逆行、ループさせてオチへと物語を導くんですが、シンプルにその仕組みが理解できない。
救われぬ魂は時間を超えて過去にも未来にも偏在する、と知らしめたかったのかもしれませんが、もしメモの存在が最終的な鍵となるのであれば、時間の流れを捻じ曲げてまでストーリーを展開する必要性が感じられない。
別に未来へ向けて一方通行でいいじゃないかと。
訴えたかったのは、たとえ宇宙が収縮に転じてなにもかもが失われようと残るものがある、ってことなんだと思うんですが、そんな無常観に希望の灯火を輝かせたかったのなら、むしろ絵的には人の影すら見えぬ終末の光景のほうが似合った気がするんですよね。
壮大なテーマを掲げながら、想像力が追いつかず、中途半端に現実味へすがったように思えてならない。
監督はとてもロマンチストだと思います。
同時に、ロマンチストであるがゆえの限界、そんな言葉が去来したりもしました。
この世あらざる物語にも相応のロジックは必要、というのが私の総論ですかね。