1973 アメリカ
監督、脚本 フランシス・フォード・コッポラ
プロの盗聴屋が自ら請け負った仕事の内容に疑念を抱き、徐々に妄想に囚われだすお話。
70年代の映画なんで今の尺度で測る事は難しいかと思うんですが、まず単純に私が疑問だったのは、プロの盗聴屋というのは真っ当な仕事なのか、それとも裏稼業なのか?という点。
探偵が盗聴やらかすシーンとか、映画にはよく出てきますが、大抵は非合法だったような気が私はするんですよね。
法の整備がまだなされていない時代、という見方もできますけど、これ、表沙汰にして何ら恥じることのない仕事であるのか、そうでないのか、で全く印象が変わってくるように思うんです。
なぜ主人公は「自分も盗聴されてる」という強迫観念に囚われだしたのか、その内面の変化をもっとらしく納得させるための理由は周到に散りばめられてるんですが、説得力の有無、という意味では「ここまで追い詰められるものだろうか?」と首をかしげる隙が幾分あるように感じるんですね。
これがもし裏稼業なら警察の手が回ることも頭の隅にあることでしょうし、精神的に疲弊していくのもわからなくはない。
けど、依頼主と主人公だけの関係性ですべてが完結するなら、どうして何もかもを自分の内側に溜め込もうとするのか?という怪訝さは払拭しきれない気がするんです。
盗聴の腕にプライドを持ち、孤独を愛する信仰心豊かな人物だからだ、という解釈ももちろん可能なんでしょうが、いうなればそれって結構な矛盾を抱えた「変人」なんじゃないか?と私は思うんですね。
職種の真っ当さを語らずして、単に変人の疑心暗鬼に延々つきあわされてもですね、やはり感情移入はしにくい。
今なら確実に心療内科の案件、と思ったりもする。
盗聴した音声を巧みに使う演出や、殺人計画の進行をほのめかす構成等、さすがコッポラと唸るテクニックは散見されるんですが、ストーリー自体が特殊なケースすぎてどこに視点を合わせればいいのかわからない、みたいな。
で、この映画がややこしいのは、サスペンスなんだろうな、と思わせておいて最後になにひとつ真相が明かされないこと。
心理ドラマなんですよね。
事実をあからさまにすることに主眼がおかれてない。
見る人によっちゃあ「投げっぱなしじゃねえかよ!」と憤る人もいるかも。
正直私も「ええっ?ここで終わり?!」と腰抜かした。
うーん、どうしたらいいんだろう、って感じですね。
この映画を絶賛する人が一定数いることは理解できますが、なんともモヤモヤしたものが見終わってからも尾を引く映画ですね。
サックスを小道具に使うセンスとか好きなんですけどね、内省的すぎて私にはちょっと合わなかった、といったところでしょうか。
あ、ジーン・ハックマンの追い詰められた演技は圧巻でした。