アメリカ 1976
監督、脚本 デヴィッド・リンチ
すごい、すごいとは聞いていましたが、まさかここまでの作品だとは思ってなかったですね。
いやー狂ってるわ。
もうシナリオとかストーリーとかなんの判断基準にもならないですから。
そんじょそこらのホラーやスプラッターじゃあ太刀打ちできないことも間違いない。
気持ち悪さ、薄気味悪さに形を与えるとしたらこうなるんじゃないか?とすら思ったりした。
非情に実験的で、ほとんど意味不明だったりするんですが、どこか蠱惑的なのが実にタチが悪い。
ああ嫌だ、こんなの89分も我慢できねえよ!と思いつつもなぜか最後まで見ちゃうんですよ。
おそらくね、至極内省的な内容だと思うんですけど、どこか悪夢の集合知のような質感があるんですよね。
つまりは、やりたい放題好き勝手やってるように見せかけて、他者の目線をきちんと意識している、ということ。
観客を突き放しているように見せかけて、でもわかってくれるよね、あなたなら、と薄ら笑いを浮かべながら寄り添う淫奔さがあるとでもいうか。
私、こういう映画、どっちかというと否定的な方なんですよ。
独りよがりは自主制作の学生映画でやってくれよ、といつもなら言うところ。
ほんと物事には例外がある、と思い知った次第。
やっぱり何が優れてるって、デヴィッド・リンチの妄想みたいな映画なのにも関わらず、アウトプットされたものが既出のどれとも似ていないことでしょうね。
この内容でキャラが立ってる、ってのも驚異的。
スパイクやラジエーター・レディとか、一度見たらもう忘れられません。
また、視聴後に「当時の監督自身のおかれた環境が作品には如実に反映されている」との記述をネットで見たんですが、それを知ってさらにびっくりですね。
あんたの頭の中では、ごく一般的な成人男子のたどる婚姻へ至るプロセス→新生活がこんな風に変換されちゃうのかよ!って。
これを天才と呼ぶのなら、まさしく天才なのかもしれませんね。
抑圧が招いた創造性が鬱屈のパトスとなってほとばしる怪作。
説明すること自体がもはや野暮だ。
間違いなく万人にはおすすめできませんが、リンチの頂点と評されるのも納得の長編処女作でしたね。
ご覧になるときは心の準備を。