ANIARA アニアーラ

スウェーデン/デンマーク 2018
監督 ペラ・コーゲルマン、ヒューゴ・リリャ
原作 ハリー・マーティンソン

ANIARA アニアーラ

放射能汚染された地球から火星へと移住するために、8000人もの乗客を乗せて宇宙へと旅立った巨大宇宙船アニアーラ号の、不慮の事故による漂流生活を描いたSF大作。

放射能汚染で移住、というとまるで昔の日本の某TVアニメとか、SF漫画のようですが、漂流を余儀なくされるまでの筋立てはさほどペシミスティックでも深刻でもありません。

汚染の深刻度が喫緊でない、という設定なのかもしれませんが、ほぼ観光旅行にも近い雰囲気での船出。

なんせアニアーラ号、ひとつの都市がそのまま宇宙船に姿を変えたかのような豪華さ、及び快適さにありまして。

船内にショッピングモールはあるわ、バーはあるわ、スポーツジムはあるわ、ゲームセンターはあるわで、なんだこれ豪華客船世界一周の旅かよ!といった塩梅。

どれだけ科学技術が進歩したとしてもこれだけの規模のものを8000人収容して宇宙に飛ばすなんて不可能じゃないのか?と単純に思えるし、飛ばせたとしても富裕層しか乗船できないんじゃ・・と私なんかは考えるですが、まあ、飛んでしまったものは仕方がない。

というかシンプルにね、もう火星に到着しなくてもいいじゃない、と思ったりもするわけです。

アニアーラ号を宇宙ステーション化して、そこで暮らす、という選択肢もあるんじゃないか?と。

コスト面や運用の危険度を考えるならね。

小さなチューリップしか火星では咲かない、と作中で言及されてるんですが、それなら汚染された地球から除染した物資を供給源とする宇宙生活のほうが現実的では?と思うんですが、うーん、違うんでしょうかね。

はっきり言って、某国や格差社会の底辺で暮らす人達の方がアニアーラ号での生活よりよっぽど抑圧された厳しい毎日を送ってると思います。

多分「漂流状態でも一向にかまわないから、ちょっと仕事するだけで3食ついてて後は自由に暮らせるなら乗船したい」という人は一定数いると思う。

私だって毎週映画の新作が届くならアニアーラ号に乗船したい。

つまりは、初期設定そのものに「追い詰められた人たちの悲壮さ」がないんですね。

だから火星への進路をはずれたとしても、自給自足が可能ならそれほど深刻になる必要はないんじゃないか?とどうしても思えてくる。

むしろ、8000人もいる乗客の内の誰か一人ぐらい「ここで暮らしていくという選択肢もあるんじゃないか?」と声をあげないことが不思議でならない。

なんだかもうみんながみんな事故に動転しちゃって必死に「この旅は終わりがない」ことをごまかそうとするんですよ。

地に足をつけていないことが人をおかしくしてしまう、ということなのかもしれませんが、それにしたって価値観の多様性に乏しすぎる。

で、結局お決まりのパターンです。

自殺者続出の、カルト集団化の、スラム化の。

しかもそれがすべて断片的。

線でつながっていかないんですね。

それでいて、ストーリーに大きな起伏もドラマもない、ときた。

ただただ壊れていく人たちの病的な様子を刻々と描写していく。

陰気すぎて気が滅入るんだよ、って話だ。

唯一、興味を惹かれたのは物語が漂流から598万1407年後まで描かれていたことでしょうかね。

とっさに計算できんわ、数字が大きすぎて。

こんな大風呂敷広げてどう後始末つけるつもりなんだ、と思ったら、ああなるほどそういうラストシーンですか、と。

おそらく〇〇でスイングバイした、ってことなんでしょうね。

うーん、悠久の時の流れに無常観を見出せたりする人にとってはある程度ひたれる映画かもしれませんが、ただ絶望に蝕まれていくプロセスを映像化しただけという批判も避けられない気がしますね。

とりあえず北欧版2001年宇宙の旅(1968)なんて言っちゃ駄目。

おこがましいです。

調べてみたところによると原作は詩である、とも記されてて、それならこの仕上がりも納得できなくはないんですが、詩であるならなおのこと見る人は選ぶ、そんな風にも思いましたね。

スケールのでかさは好みですし決して嫌いではないですが、SFならさらなる発想の飛躍が欲しかった、というのが正直な感想。

あと、なぜヒロインがおばちゃんなのかがよくわかりませんでした。

ビジュアル的にも内容的にも20歳そこそこの小娘ぐらいでちょうどよかったんじゃあ・・と思うんですけどね。

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