アメリカ 1979
監督 スチュアート・ローゼンバーグ
原作 ジェイ・アンソン
数ある幽霊屋敷をテーマにした作品の中でも、アメリカで最も注目されたのがこの一作じゃないか?という気がしますね。
それが証拠に公式、非公式を含めてリブート作品や続編がこれまでに18本、ってんだから、つくづく尋常じゃない。
最近じゃあ2005年にリメイクが発表されてますよね。
いったいどれだけの人がこの映画に触発されたんだ?という。
原作はベストセラーになったノンフィクション『アミティヴィルの恐怖』なんですが、本が発売される以前から事件そのものが全米で大きく話題になっていたらしくて。
当時の騒動を記憶してる人が途切れぬ新作の『需要と供給のバランス』を維持し続けていたのかもしれません。
実際、オリジナルといえるこの作品の完成度、格別突出してるようには思えませんし。
私の感覚だとたたり(1963)やチェンジリング(1979)の方がずっと怖い。
やっぱり今の感覚で見ちゃうと『恐ろしく地味』だと思うんです。
必要最小限のSFXは時代の風雪にさらされて古臭いし、派手な脅かしも皆無ですしね。
勝手にドアがあいたとか、妙に体調悪いとか、地下室内部から誰かがドアをこじ開けて外に出ていった形跡があるとか、小さな異常の積み重ねだけで全部見せきろうとするんですよ。
そこには幽霊の影すらない。
ともすれば『錯覚じゃねえの?』といわれてしまいそうなぐらい小粒な出来事の数々。
そりゃ不気味だと言えなくはないけれど、もし豪胆な科学至上主義者ならそんなの気にも留めないのでは?と思ったりもするんですね。
なのに一家の主である男性は、徐々に心を蝕まれていってだんだんおかしくなってくる。
これって、むしろ心療内科医の案件なのでは、と思ったり。
おそらく監督は、徹底してリアリズムにこだわったんだろう、と思います。
多くのホラーがこれでもかと怪異を見せつけてくるのに反して、あえて見せないことで恐怖を膨らませようとしてるのはよく分かる。
けれどそれもケースバイケースで。
一切の脚色を排除してるわけじゃないんだから『気の迷いでは?』と観客が訝しむような隙があるってのは、恐怖演出の至らなさだと捉えることも可能だ、と私は思うんですね。
『あえて見せない怖さ』は大好物なんですけどね、それも切り口やセンスに次第だな、と。
なんだかシャイニング(1980)の未熟な雛形みたいな映画でしたね。
じわじわと狂気に蝕まれていく様子をじっくりと追っていく手法は巧みだったと思うんですが、幽霊屋敷ものの有名作だと思ってみると肩すかしを食らう、そんな一作でしたね。