ファースト・マン

アメリカ 2018
監督 デミアン・チャゼル
原作 ジェイムズ・R・ハイセン

ファーストマン

人類で初めて月面に到達した宇宙飛行士、ニール・アームストロングの半生を描いた伝記ドラマ。

月の風景をIMAXフィルムカメラで、地上をアナログ16ミリフィルムで撮りわけたこだわりの映像が話題になり、音響への細やかな気遣いも称賛された本作ですが、ダメな人は全然ダメ、という極端な評価が目立ってたりもしててさてどうなんだろう?と。

幾分身構えた部分はありましたね。

なんせデミアン・チャゼル、初めての実話ものであり、他者の脚本を映画化した最初の作品でもあるわけですから。

自分のやりたいことを具現化したこれまでのようにいかないのは確かですし、監督を職業とする者としての資質を前2作以上に問われることは間違いない。

これで作家性を顕著に表現できてこそ本物か、と思うんですが、なんせ私はラ・ラ・ランド(2016)で振り落とされてる人なんで。

ぶっちゃけ大きな期待はしてなかったです。

私の勝手な解釈なんですけどね、この人、自分が経験したことは饒舌に語れても、ゼロからの創作であったり、アレンジ、編纂、改変みたいな作業はひょっとして不慣れなんじゃないかなあ、と。

それがそこはかとなく匂ったのが私にとっての ラ・ラ・ランド でして。

セッション(2014)の延長線上というか、夢見るお花畑なセッション(なんだそれ)が ラ・ラ・ランド だった気がするんですね。

ましてや今回は伝記もの。

これ習熟の極みに達したベテラン監督でもコケるケースが多いように思います。

史実を脚色することに抵抗感があるのか、多くの人がそのまま再現ドラマにしちゃうんですよね。

再現ドラマが映画として面白かったことって、ほんとなくて。

私は過去にも色んな映画作品で重ねて指摘してきた。

映画なら映画なりの解釈であったり、違う切り口でもって彩ってくれよ、と。

あったことをそのまま列挙してどうする、と。

で、本作ですが、ものの見事に実話ものの罠にはまってるように思いますね。

しかも最悪なのが、紡がれていくストーリー、ほぼ全部知ってることばかりだった、という現実。

唯一知らなかったのはご家族に不幸があったことですが、それ以外はあまりに多くの作品が映像化してたり、題材にしてたりするんで、まるで逐一再検証を強いられているかのような有様でして。

もう、見ててほとんどのシーンに既視感を感じる状態。

あ、それなにかで読んだ、それも聞いたことある、みたいな。

これを面白かった!とは私にはどうしても言えない。

あ、うまいなあ、と思えるシーンはいくつかあるんですよ、模擬訓練を弛緩と緊張で描いた場面とかね。

でもそれ以上にストーリーに驚きがない。

また、アームストロングがまったくもって寡黙で。

何を考えてるのか全然わからんのですよ、これが。

実際、そういう人物だったらしいんですけどね。

正直、今、なぜ、最初に月面着陸した男の物語をデミアン・チャゼルがやらねばならなかったのか、私にはわからないですね。

どうしてもこの使い古した題材を映画にしたかったのなら、あまり注目されることのない宇宙飛行士のその後を描く、ぐらいのことをやって欲しかった、と私は思いますね。

アームストロングは後に離婚して世間から逃げるように隠遁生活に入ってますし、他の乗組員も宗教に帰依したり、アル中になったりと、ろくな人生を歩んでないですしね。

一体月は宇宙船乗組員の精神になにをもたらしたのか?

そこまでつっこんでくれてたら私の興味も俄然前のめりだったか、と思います。

あと、主演のライアン・ゴズリングなんですけど、どうなんでしょう、この人がアームストロングって、なんだかひどく違和感あるんですけどね、みなさん気にならないんですかね。

どう見ても60年代の無骨なアメリカ人に見えないんですけど、私だけなんでしょうか。

なんだろう、決して下手じゃないし、テクニックを感じる部分もあるんだけど、終わってみればどこにも発見がなかった、といったところですかね。

もうちょっと冒険してもよかったのでは、という気がしますね。

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