ベルギー 2016
監督 ハリー・クレフェン
脚本 ハリー・クレフェン、トマ・グンジグ

生まれつきの透明人間である男の子と、盲目の少女の絆を描いたファンタジックなラブロマンス。
ああ、こりゃ泣かせにかかってきてやがるな、と。
ええ、そりゃもう確信しました。
だってとんとん拍子に事が運ぶはずがないですもん、どう考えたって。
ちょっとあらすじ読んだだけで、物語の結末がまざまざと思い浮かぶよう。
・・・盲目の少女が手術して、云々・・・・。
うんうん、見えるようになっちゃうんだね、きっと。
せっかく見えるようになったのに、一番姿形を瞳にとらえたかった彼の姿が見えないわけだ。
なんたる悲劇。
なんたるパラドックス。
そして透明人間たる彼はひとり静かに退場していくんだよ、おそらく。
なんだこりゃもう、ギレルモ・デル・トロかよ、って。
もうね、異形の悲哀に胸撃ち抜かれることを覚悟してあたしゃ視聴にのぞみました。
もちろん小脇にはティッシュペーパー。
号泣必須でしょうから、間違いなく。
ところがだ、そこのあなた。
なんと仰天のハッピーエンドが待ち受けてたりするんですよ、この映画。
いやいやマジかよ、って。
なぜうまくいってしまうのだ?と頭の中はクエスチョンマークでいっぱい。
なんでしょう、ほとんど絵本の世界とでもいうか。
現実的であることからひたすら遠く離れて、外部の干渉をとことん排除する物語様式は幻想奇譚といってもいいし、言葉は悪いがほぼ妄想といってもいいと思います。
さーて、困った。
純愛物語で片付けるのが楽そうでいいんですけどね、見えないときに相手を強く感じられて、いざ見えると相手が遠くなるという筋立てが愛の本質そのものを暗喩しているようにも思いますし。
考え出すとあれこれ悩んでしまいそう。
ま、どちらにせよ掌編ですね。
ひたれるか、ひたれないか、それが全てな気もする。
ただ、意地悪なことを言うなら、この作品、いくつか矛盾点があります。
病院に入院してる母親が、病室で出産して誰も気づかないなんて、いかに透明人間とはいえ無理がありすぎるし、少女は少年が素っ裸なことに延々気づかない、ってのも、いかに盲目であるからとはいえ詰めが甘すぎ。
少年の視点でカメラが世界を追っていく手口はおもしろい、と思ったんですが、この結末ならもっと徹底して現実味をなくし、あえて少年の独白だけで成立させるとか、説明っぽいくだりは一切なくすとかぐらいのことはやってもよかったと思いますね。
もうアートでいいじゃない、と。
恋の成就そのものが、この設定だと普通にハードル高すぎるわけですし、それでもなお、片隅の幸せを形にしたいのなら雑音を振り切るだけの前衛性が欲しかった、ってなところですかね。
佳作でしょうか。
お好きな方は猛烈にはまりそうな気もしますね。
余談ですが、私はカーペンターの透明人間(1992)を思い出したりもしました。
ほんとに話題になってない映画ですけど、透明人間の恋といえばこれじゃねえか?と私は思ったりしてます。