ハンガリー 2017
監督、脚本 イルディコー・エニェディ

デビュー長編である「私の20世紀」(1989)が半ば伝説化しているハンガリーの映画監督、イルディコー・エニェディの18年ぶりとなる新作長編。
邦題がなんだか重々しい感じですが、原題はTestről és lélekrőlで、「体と魂」の意。
微妙にニュアンスが違うような。
どちらにせよ、それほど深刻な内容というわけではありません。
見終わってぐったりするような内省的ドラマでもなければ、どうにも悲劇的で目も当てられないというわけでもない。
簡単言っちゃうならラブロマンス。
ただ、この映画、安直にラブロマンスとカテゴライズしてしまうには、なにかと雑味が多くて。
雑味と言うとちょっと言葉が悪いから、不可解と言ってもいいんですけど。
まず物語の舞台は食肉処理場。
毎日、牛がバンバン殺されてむき身で宙吊りにされてます。
主人公は左手の不自由な工場のボス。
ヒロインは工場に派遣されてやってきた品質検査員。
で、このヒロイン、いったいお前は今までどこでどういう生活を送ってきたんだ?と面食らうほど堅物で融通がきかなくてコミニュケーション不全で、超奥手で。
そんな二人がなぜか同じ夢を毎晩見ることで、互いに興味を持ち、徐々に心を通い合わせていく様子をストーリーは紡いでいくのですが、まー、よくわからんことだらけです。
まず、なんで食肉処理場なんだ?と。
日々、消費されるために命を奪われていく家畜と、二人の恋模様が最後までまるで交差することがないんですよね。
なにか問題提起をしたい風なわけでもない、ヴィーガン的思想が前面に押し出されてるわけでもない、顛末を暗示している感じでもない。
同じ夢を見る、というとっかかりも、なぜボスと見知らぬ検査員がシンクロしちゃってるのか、一切説明はありませんしね。
さらには、どうしてボスが左手の自由にならない人でなければならないのか、さっぱりわからない。
主人公の不具合が、何らシナリオに影響を及ぼしてないんです。
なにも意味してないんですよね、身体の障害が。
なんだろ、全部「思いつき」で素材なり、設定なりを選定したような按配なんですよね。
それぞれがバラバラに浮遊してて全然絡み合わないとでもいいますか。
妙に印象的なカットや、二人の噛み合わなさが物語の「引き」として上手に機能してるんで、退屈することはないんですが、いざ終わってみれば「壮年男性の最後の恋を、男の願望もまじえてラブコメ風に描いただけじゃん!」とつっこんでしまえたりもしてどうにもこうにも。
あとから振り返るなら、主人公であるボスのキャラクター像があんまりちゃんと描けてなかったのも問題だったかな、と思ったりもしましたね。
ヒロインは徹底的に掘り下げて描写されてるんですが、ボスが幾分薄らぼんやりしてるんで、いったい彼のどこに恋したわけ?と懐疑的になっちゃうんですよ。
なんとも変わった恋愛映画でしたね。
意味なく盛ったあれこれを全部取っ払って、シンプルに不器用な女性と壮年男性の恋物語にしとけばもっと広く支持されるのでは?と思いましたね。
ちなみに終盤、バスタブで割とショッキングな展開があるんですが、それが結末にはずみをつけるためのネタになってるのにはちょっと感心しました。
決して嫌いじゃないですけど、私が唸ったのはそこぐらいですかね。
なんとなく、昔の少女漫画風だな、という気もした一作。