アンダー・ザ・シルバーレイク

アメリカ 2018
監督、脚本 デヴィッド・ロバート・ミッチェル

アンダー・ザ・シルバーレイク

向かいの部屋に住む美女に心奪われた主人公の青年が、突如姿を消した彼女の痕跡を追ってロサンジェルスを右往左往するお話。

はっきり申し上げまして「なんじゃこれ?」ってな映画です、これ。

特に後半の展開なんて、現実なんだか妄想なんだかさっぱりわからぬままあらぬ方向へお話は横っ飛びしまくり。

陰謀論にとりつかれた同人誌作家が世の中は隠された暗号だらけ、とほざいたかと思えば、フクロウ女が闇夜に跋扈し、おかしなじじいが音楽業界の裏を暴露しだしたその次には富豪が精神世界を説き、次の新しい世界へと至ろうとする。

尾行する謎の黒い影やホームレスの王、なんてのも出てきます。

殺人事件にでくわしたりなんかもする。

で、そのすべてが密接に絡み合ってるようで、実は全然無関係のようにも思える。

ストーリーらしきストーリーって「消えた向かいの美女を探す」こと、それのみ、なんですね。

なぜそこまでして美女を探すのか、その動機すら不明瞭。

ちょっとおしゃべりしただけの間柄なんですよ、主人公と美女。

なのに危険も顧みず、リスクも厭わず、偏執的に主人公は彼女を追いかける。

美女を見つけるための小さなヒントが腕輪に刻印されていたり、ゲームのダンジョン図に隠されていたり、ロックバンドの楽曲に暗号化して隠されていたりと、事件の様相はまるでダ・ヴィンチ・コード(2006)さながらの伝奇サスペンス調で展開されたりもして。

それでいて前述したように、妄想と現実がごっちゃになったようなエピソードが続くものだから、いったいこの映画はどこへ向かおうとしてるんだ?と頭の中ははてなマークでいっぱい。

でね、肝心のオチがまたよくわからなくて。

主人公がろくに働きもせず、怠惰を貪るダメ人間であることを顧みるなら、エンディングの示唆するものが脱モラトリアム的な現実との対面である、と類推することはできるんですが、これ、あまりにもわかりにくいし、そんなの知ったことかよ、勝手にやってくれ!と私は思ったりもするわけです。

もうね、じっくり検証するなら暗示するものや隠喩、パロディ、オマージュ等々あふれかえるほどあるんでしょうし、それを逐一取り上げてる方も見かけますが、それ以前の問題として「これ、おもしろいのか?」という話でして。

だってね、ぶっちゃけ美女が見つかろうが見つかるまいがどうでもいいですしね。

見つかったところでなにかが待ってるようにも思えないし、見つからなきゃ見つからないでどうとでも転ぶんだろうなあ、と思える内容ですし。

なんとなくホドロフスキーのホーリー・マウンテン(1973)を思い出したりもしたんですが、虚構を塗り重ねていく手口の狂いっぷりは遠く及ばないですし、さて、どうしたものか、と。

この作品を楽しめる人って、映画マニアかよほど探究心旺盛な人だけでは?思いますね。

ダメだとも失敗作だとも思いませんが、監督の凝りようであったり力の注ぎ方がそもそも広い間口でもって観客を迎え入れようとしていない気がします。

イット・フォローズ(2014)の成功を経て、本当にやりたかったのがこれ、というのは興味深いですが、至極シンプルに、なにがおもしろいのかわからない、というのが私の結論。

せめて毒のある笑いでもあればなあ、と思ったりもしますが、根っこの部分でソリがあわん、ってのが私の場合、実状ですかね。

お手上げ。

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