韓国 2004
監督、脚本 キム・ギドク

ある理由から売春行為を続ける女子高生と、それを知りつつ止められない父親の苦悩を描いた家族ドラマ。
さて、主人公の女子高生ですが、実は金銭目的で売春を続けているのではありません。
むしろその逆で、行為のあと、見知らぬ男にお金を渡すことを自らに義務付けていたりする。
なので厳密には売春ではなく買春なんですが、女子高生がなぜそんなことをする必要がある?と誰もが思うところに最初のパラドックスがある。
一方、父親はそんな娘を全く理解できない。
父親、娘が買春ではなく、売春してると思い込んでるんですが、戸惑い、苦悩するのは当たり前として、普通なら娘と向き合い、話し合うであろうところをなぜかスルー。
娘を一切問い詰めようとしないんですね。
これが二つ目のパラドックス。
むしろ家庭ではいつもの優しい父親を変わらず演じつづけ、その裏で娘を買った男たちを執拗に追い詰めるハンターと化していたりする。
で、この作品がややこしいのは、それら二重の不得要をまるで解き明かす様子のないまま物語が悲劇的に転落していくこと。
いやいや誰かつっこめよ!って話でして。
もちろんなぜそんなことになってるのか、想像できそうな材料はいくつか用意されているんです。
大乗仏教の経典に登場し、最初の売春婦と呼ばれたバスミルダの名が出てきたり、贖罪を匂わせるセリフがあったり、父と娘が父子家庭であったりと、相応の理由がありそうだと事情を類推できなくはないんですが、それにしたってあまりにも奇異。
親父も娘もかなり変!って、なんで誰も指摘しないんだろう?と私なんかは思うんですね。
さらに困ったことには、それらすべてを受け入れた上でしかこの物語は先に進めない仕様になってることにありまして。
序盤でつまづくともうアウト。
もやもやを抱えたまま、おかしな二人のおかしな顛末に身を委ねるしかなくなる。
んで、ギドクが巧妙だったのは、そんな埒外の親子の行く末を「良き父ながらも不器用すぎる寡黙な男と、大人になりきれない少女の別離」として演出したことにありまして。
最後まで見て勘違いしちゃうんですよね、ああ、これはある種の「巣立ち」であり「親離れ」の強制性を描いているのだ、と。
またなんとも胸を打つ場面を、ここぞとばかりラストシーンに配置してたりしやがるんですよ、監督は。
でも、ちょっと待ってくれ、と。
素直に全部飲み下すには、あまりに物語の辿ったプロセスが特別すぎやしませんか?と。
私の感覚だと、この作品、まずエンディングありき、なんですよね。
積み上げてきたものがストーリーを決着に導くのではなく、着地点がそれぞれのシーンの断片を自身の周辺に浮遊させている状態、とでもいうか。
それを解き明かそうと思うのなら、もうこれは「寓話」である、と結論付けるしかないように思うんです。
その場合、問題なのは「寓話」として機能させるには、あんまり上手な仕上がりじゃない、ってこと。
現実味が濃すぎるんですよね。
結果、テーマが家族のあり方という「身近さ」であるのに反して、作り込みがやたら「巨視的」というちぐはぐさが浮き彫りに。
うーん、評価の高い一作ですが、私にはもう少し違うやり方もあったのでは?と思える内容でしたね。
個人的には、これまでを振り返るなら、ちょっと脇道にそれたか、と思える作品。