オーストラリア/アメリカ 2018
監督 スピリエッグ兄弟
脚本 トム・ヴォーン、スピリエッグ兄弟
霊障を恐れて、死ぬまで屋敷の増築をやめなかった未亡人を描いたホラー。
素材となっているのはカリフォルニア州に存在し、幽霊屋敷として観光名所にもなっているウィンチェスター社社長の屋敷。
当主夫人は、自身も株主として名を連ねるウィンチェスター社の開発した銃で殺された人々の魂を鎮めるには、どこかに霊魂の居場所を作ってやるしかない、と盲信し、自宅の拡張をやめなかったらしいんですが、じゃあ実話ものなのか?というと微妙に違うようですね。
設定だけ拝借して独自に脚色した感が強い。
物語は、正気とは思えぬ夫人を精神鑑定するためにやってきた精神科医が、夫人を診察しようとするも、いつしか霊そのものの実在を検証する羽目になる形で進んでいくんですが、まあ、なにかとつっこみどころ満載です。
なんといっても最大の失敗は「夫人の狂気」にこそ焦点を当てねばならなかったものを、あっさりスルーしちゃってることでしょうね。
だってね、霊魂の居場所を作ってやる、ってなんの新興宗教なんだよ、って話なわけですよ。
仮に屋敷を増築することで霊が鎮まったとしてもですよ、そんなオリジナルな手法でなんとかなるものなら、とっくの昔に死後の世界はすべて明らかになっとるわ!って私は思うわけで。
あの世とか幽霊とかね、21世紀を迎えてもいまだ判然としないものであるからこそオカルトは廃れないんであって、それを「そうか!魂の居場所がなかったからか!そりゃ増築も仕方ないね!」なんてあっけなく肯定されちゃうと、いくら1900年初頭の出来事でもですよ、これ、カルト教団の話かなにかですか?となっちゃう。
不可解な現象に対する「観察する視線」がないんですよね。
まず、追求すべきは「どうして屋敷を増築することでなんとかなると思ったのですか?」だろう、と。
そこに疑問を呈さず、霊の実存にストーリーをシフトしていった時点でもうアウトですよね。
結果、舞台がウィンチェスター家である必要がまるでない、凡庸な幽霊屋敷ものとして物語は終幕。
また、最大の敵となる幽霊も「無理矢理こいつをラスボスに設定しました」感がなんとも強くて。
法則性とか因果って知ってる?と脱力。
そりゃ酷評もされるわ、って。
そもそもね、屋敷を増築することに執着した夫人が心に抱えてるのは間違いなく狂信であって、どう考えても病的な行為なんだから、なぜそれを虚々実々の心理ホラーとして演出できなかったのか?と私は思うんですよね。
本当なのか思い込みなのかはどうでもいいんです。
霊がいようがどうしようがそれもこの際、大きな問題ではない。
心底寒々しく、恐ろしいのは「夫人の心の奥底にはなにが巣食ってるのか」だと思うんですよ。
そこを見誤ってる時点でもう全然ダメ。
ホラーあがりの監督なのに、この体たらくはどうしたことかと思いますね。
プリデスティネーション (2014)は面白かったのになあ。
期待していただけに残念。