アメリカ 1972
監督 ダグラス・トランブル
脚本 デリック・ウォッシュバーン、マイケル・チミノ、スティーブン・ボチコー
地球から緑が消えた未来、宇宙ステーションで失われた植物の栽培に従事する4人の乗組員たちを描いたSF大作。
なんとも独特なプロットだなあ、と思いますね。
環境破壊に対する批判が声高に叫ばれた70年代ならではのペシミスティックなSFかとは思いますが、それを未来の地球上ではなく、宇宙空間を舞台にやらかす、という発想がいい。
地球本来の自然環境がもはや宇宙ステーションにしか存在しない、という状況設定は、これ以上ないくらい強烈な物質主義に対する皮肉だったように思いますね。
4人の乗組員のうち3人が、ステーションでの仕事に本気で取り組もうとしていない、という物語作りも巧み。
自然環境が失われたことに一部の人間は危機感を持ってるんですけど、とりあえずテクノロジーで完全にコントロールされてるんですよね、地球。
その快適さが今日、明日にでも崩壊しそうな兆しがあるわけじゃなし、別にいいんじゃないの?植物、なきゃないで?というスタンスなんですね、3人は。
大ごとなのに「なんの役に立つのかわからない学術研究」みたいな認識なんです、仕事そのものが。
これって今の時代にも通じるテーマだと思うんですよね。
温暖化の進行が将来的に人類を苦しめる、と科学者が警鐘を鳴らしても、大丈夫じゃね?とばかり、パリ協定から離脱したトランプの心理って、まさにこれだと思うんですよね。
で、それをなんとか食い止めようとするのが、偏屈な植物学者ただ一人、というのがなんとも「ありそうな感じ」でやるせない。
私なんかは、70年代から全く進歩してねえじゃん!人類!と嫌な気持ちになったりもした。
ストーリーが追うのは「無理解の蔓延に抗う識者の徒労」です。
あがけども、一向に事態は好転しない。
挙げ句には、宇宙ステーションでの事業の存続すら危機にさらされる。
後半の展開は怒涛です。
はっきり言って、植物学者やりすぎだし、さすがにこれは頭おかしいレベルだ!と多くの人はきっと「ドン引き」だろうと思います。
けれど、一人の狂気でしか政治という名の暴挙を止められないのだとしたら、果たして本当に狂っているのはどちらなのか?
終盤、物言わぬロボットを相手に淡々と植物の世話をし続ける学者の絵も、どこへ向かおうとしてるのかさっぱりわからなくて凄いんですが、なんと言っても圧巻なのはラストシーンでしょうね。
これぞSF!とあたしゃ膝を打った。
失われゆくもの、二度とは元に戻らぬものへの惜別を、宇宙の深淵を背景に、ここまで哀切極まる詩情で彩った作品はそうそうないんじゃないでしょうか。
傑作だと思いますね。
2001年宇宙の旅(1968)やアンドロメダ・・(1971)の特撮マンとして名を馳せたトランブルの真価をあますところなく発揮した一作。
ろくな予算もないのに、ここまでやれた事自体が驚異だと私は思いますね。