イタリア/フランス 2016
監督 ロベルト・アンドー
脚本 ロベルト・アンドー、アンジェロ・パスクィーニ

G8財務相会議にゲスト参加した修道士が、宿舎で起きた殺人事件に巻き込まれるサスペンス。
厳密に言うと事件そのものは、他殺の線も疑われはしているものの、ほぼ自殺ではないか?と考えられており、警察はさほど本気で取り組んではいません。
じゃあ修道士は何に巻き込まれてんだ?ってことなんですが、修道士、事件前日に当事者IMF専務理事の告解を受けてるんですね。
警察及び関係者は専務理事が死ぬ前に何を修道士に告げたのか、それを知りたいわけです。
なんせ理事が死んじゃったのは告解のあと。
これから大事な話をしなきゃいかん、ってときに彼はなぜ死を選択したのか、自殺であるならその理由を修道士が少なからず知っているはずだ、と取り巻きは考えたわけです。
ところが修道士、戒律に従って告解の内容については頑として口を割らない。
「言えません」の一点張り。
以降、周りの人間と修道士の、言え、言わないのすったもんだが延々終盤まで続きます。
なので冒頭で「サスペンス」とは書きましたが、内実は全く別物かもしれない。
いや、別物だな、これは。
で、なにが面倒くさいかというと説明不在なまま入り組んだ人間関係の打算と謀略に満ちたやり取りを延々見せつけられる事にあってですね、いやもうね「いいからさっさと吐け!修道士!話が進まんだろうが!」とイライラしてくることうけあい。
「政治に与せぬ宗教本来の姿」を描こうとしてるのかな?と最初は思ったんです。
きっと最後まで見ることで、宗教とはなにか?信仰とはなにか?の回答が導き出されるのだろう、と。
すまん、違った。
単に傲岸不遜な資本主義の走狗どもを徹底的に皮肉る映画だった。
ま、途中の場面場面でね「遊んでるのかな?」と思えるような、妙にシュールなシーン、こりゃなにかのカリカチュアだろうな・・と思える謎なシーンはあったんです。
でもそれがまさかそのまま大きなテーマにつながってるとは思わないじゃないですか、普通。
修道士を拝金主義の反定立として象徴的に描きたかったのはわかる。
けれど、それならそれであのエンディングはないだろう、とも思いますし。
最後にね、修道士、全員の前で「あること」をするんです。
いやいやそれ、しちゃダメでしょう!って話で。
最後まで何もしなかったのなら修道士の役割はアンチテーゼとして成立したかもしれないけど、そこでタネをばらしちゃったらマジックはお流れになっちゃうじゃないかよ!って。
そこにカタルシスを見い出したかったのはわかりますけどね、でもやっぱり間違ってる。
どっちかというと決して目新しいとも思えぬテーマで、このもったいぶった作りはなんなんだろう、と思いますね。
回りくどいにも程がある。
意気込みは理解できるが、結果的に空回りしてる一作、というのが私の評価ですね。
前作、ローマに消えた男(2013)の方がまだ楽しめた感じ。