日本 2017
監督 白石和彌
原作 柚月裕子
簡単に言っちゃうなら、現代に蘇ったあの頃のヤクザ映画、その一言ですね。
いやーもう、容赦なく残虐で粗暴で品がなくてあからさま。
そこまでやるか?ってなぐらい下劣な描写も山盛りで、これ本当に女性作家が原作なの?と思わず疑ってかかりたくなるほどでしたね。
間違いなく地上波で放送するのは無理だと思います。
ピー音だらけのカットされるシーンだらけで原型とどめないんじゃないんじゃないですかね。
こういう映画はもう韓国でしか撮れないのでは?と私なんかは思ってたんですが、やろうと思えばやれるんだなあ、日本映画。
やれコンプライアンスだ、炎上だと不寛容社会まっしぐらな現代日本においてよくぞまあこんな企画が通ったものだな、と逆に感心しますね。
でもそれが興行収入10億円に迫ろうかという大ヒットを記録したんだから、多くの人が「得体の知れない閉塞感」みたいなものにうんざりしてる、ということなんじゃないでしょうか。
わかりませんけど。
見る人を選ぶ映画だ、とは思いますね。
多分、生理的に受け付けない人や、なにがおもしろいの?と懐疑的になる人は一定数存在するように思います。
舞台が「昭和63年の広島」という狙いすました確信犯ぶりに、ニヤリとほくそ笑んでしまう人なんかはある意味無条件降伏なんでしょうけど、「仁義なき戦い」とか通過してない人からしたらエグすぎてよその世界の出来事のように映るかもしれない。
若い人はアウトかもしれませんね。
かく言う私も世代的にはギリギリ通過してるものの、それほどヤクザ映画に心酔しなかったせいもあってか、どこか高度なパロディを見てるような気分で視聴していたことは確か。
「うおーあの時代の映画がかえってきたぜええええ!」みたいな興奮はあまりなくて、むしろ「よくぞここまで忠実に昭和の胡散臭い空気感を再現したことよなあ」という驚きのほうが先行してましたね。
ただ私が、ちゃんと考えてるな、と思ったのは昭和の広島などというセピア色の無法地帯に松坂桃李などという当代人気の俳優をキャスティングしてたこと。
これ、単にオマージュとかリバイバル気分で作ってんじゃねえぞ、という気概の現れだと思うんですよ。
もっとあの時代に似合いそうなギャラの安い若手はいくらでもいるわけですから。
過去を舞台にしていても、現代に通じるものを作ろうと制作陣は苦慮してる。
それは物語作りにもわかりやすい形で反映されてて。
特に「単に法を遵守することだけに固執してヤクザを取り締まってもなんら良い結果にはならない」とした大神刑事の行動規範なんて、その最もたるものですよね。
作中で大上刑事が松坂桃李演じる日岡刑事に語りかけます。
「お前が言うようになんでもかんでも罰してヤクザをとことんしめつけてしまったら、挙げ句には誰がヤクザで素人なのかわからんようになってしまう」
あ、これ、半グレが溢れかえってて学生がオレオレ詐欺の受け子を軽い気持ちでやっちゃう今のことじゃないかよ、と私は思わず膝を打った。
まさに現行の暴対法に対する強烈な皮肉に他ならないですよね。
もちろん大上が絶対的に正しいはずもありません。
けれど、昭和のはみ出し刑事の生き様を今あえて描くことで、ヤクザ組織をどう扱っていくのが一番良いのか、もう一度考えるきっかけを提示してるのは確か。
器はヤクザ映画ですが、血生臭いバイオレンスに固執するだけでなく、過去を通して現代を知ろうとする試みのある優れたエンターティメントだと私は思いますね。
この「えげつなさ」をエンターティメントと呼ぶのなら、ですけど。
ヤクザ映画の面白さを損なわぬまま、ヤクザそのものを冷静に俯瞰してるというのが、実はこの作品の一番の凄みかもしれません。