アメリカ 1995
監督 キャスリーン・ビグロー
脚本 ジェイムズ・キャメロン、ジェイ・コックス
猟奇殺人の犯人を追う元刑事を描いた近未来SF大作。
ま、近未来とはいってもこの映画が制作された1995年の時点で想像する「ありえたかもしれない1999年」が舞台になってますんで、今あらためて見ると近未来でもなんでもなかったりはするんですが。
ただ、着眼点は悪くなくて。
重要な小道具として「他人の体験を、五感を通じて追体験できるバーチャルマシンSQUID」ってのが作品世界では流通してるんですけど、これほぼ近い将来に実現しそうな勢いで似たようなものが今開発進んでますよね。
95年の時点でそれを予見していたかのような内容、ってのはSFとして決して悪くはない、と思うんです。
で、主人公なんですが、刑事から身を持ち崩して違法にSQUIDの裏ディスクを売りさばく売人をやってまして。
そこに知り合いの娼婦が惨殺されるディスクが持ち込まれてきた。
見て驚愕、次のターゲットはどうやら元恋人のようだ。
もはやなんの力もない主人公は、はたして元恋人を守れるのか?ってのが大筋でのあらまし。
私がうまいなあ、と思ったのは犯人探しのミステリに、今まさに世紀が変わろうとする年末の喧騒を絡ませてきたこと。
実はたった2日の出来事なんですね、この映画って。
実際に1999年を通過してきた人ならわかると思うんですが、世界が終わるだの、パソコンが一斉にクラッシュするだの、流言飛語が飛び交い、いわゆる期待と不安が入り混じった恐慌にも似た空気があの時はあったように思うんです。
そんな時代背景と、無骨に一人の女を救おうとする男の絵を対比させる手管はさすがキャメロンとビグロー、と言わざるを得ない。
誤解を恐れずに言うなら、どこかハードボイルド調なんですね。
いや、元恋人にね、いつまでも執着する主人公はほんと女々しくてうんざりする部分もあるんですけどね、それでも振り向かれないのを承知で身を挺する姿には「やせ我慢の美学」が透けて見えたりもして、どこか心揺さぶられるものがある。
それを、近未来を舞台にやらかす、ってのが心憎いですよね。
裏テーマとしてさりげなく人種差別問題を忍ばせてきたのも見事という他ない。
なぜ黒人女性が主人公の協力者なんだろ?と最初は思ったんですが、物語のキーとなるラッパー殺害事件を通じて全ては最後にその意味が解き明かされる仕掛けになってる。
このころからビグローは社会問題に興味があったんだなあ、と思ったり。
必見はエンディング。
21世紀を迎えるその瞬間と、事件の解決、主人公の選択、そのすべてを一同に会した絵面は、大円団と高揚がないまぜになった聖画のような印象すら抱かせるものでした。
このエンディングを用意してきた、ってだけで私の評価は軽く星1つは多めにつけられますね。
ただまあ、この作品、難点もいくつかありまして。
最大の失態はSQUIDのデザインがダサすぎることでしょうね。
どこぞの宗教団体のヘッドギアかよ、と言いたくなるようなチープさはマジでいただけない。
あと、ジュリエット・ルイス演ずるヒロインの性格が完全に破綻してるのも問題。
頭おかしいレベルです、はっきり言って。
それがせっかくの主人公のヒロイズムを台無しにしてる。
真犯人が途中でなんとなくわかっちゃうのもマイナスといえばマイナス。
結局、頭抜けてすごい、と思える点と、こりゃダメだ、と辟易する点が同居してる作品ですね、結論をいうなら。
それでもなんかぐいぐい惹き込まれる、ってのがこの映画の不思議さなのかもしれませんが。
ポテンシャルは相当高いです。
誰にでも作れるようなものじゃない。
私にとっては、不手際も含めてなんか好きだ、と言える一作ですね。
どっちかというとキャメロン色が強いかも知れませんが、今となっては2度と見られぬであろうタッグなだけに、二人の才能のぶつかり合いを楽しむというのもいいかもしれません。