フィリピン 2016
監督、脚本 ラヴ・ディアス
無実の罪で30年間投獄されていた女の求償を描いた作品。
文豪トルストイの短編「神は真実を見給ふ、されど待ち給ふ」から着想を得た作品らしいんですが、私はトルストイの本なんて触ったこともないのでなにをどう換骨奪胎したのやら想像すらつきません。
そんなことよりも強烈だったのは上映時間で、なんと3時間48分。
ディスクをトレイに載せてからそれに気づいた私ははっきりいって凍った。
いやいや約4時間って。
短い映画なら3本見れちゃうよ?と。
それをぶっ続けで鑑賞なさい、ってか。
もはや体力勝負である。
最後まで寝落ちせずに起きていられる自信なんざ欠片もない。
というか目がもつのか、と。
エンドロールまで。
2時間程度の映画ですら結構疲れますよ?目?
4時間って・・・。
もはやケンカ売ってんのか、と言いたくなるレベルである。
しかしながら借りちゃった以上はもう見るしかないわけで。
腹くくりましたとも、ええ。
そしたらあなた、全編モノクロでやんの。
しかも鬼のように長回しを多用する、ときた。
さらにはなぜかロングショットでの撮影がほとんどで、主要人物ですらめったにアップがない有様。
その上、話が一向に進まない。
セリフが無いまま同じ構図で延々人物の動きを追って軽く10分経過、とかザラ。
旧ソビエトのアンドレイ・タルコフスキー監督ですらここまでの暴挙はやらかさなかったのでは、と思いましたね。
いや、ロングショットで長回し、という手法がね、妙に見る側の集中力を喚起するってのは意外にもあったんですよ。
それは否定しません。
誰が何をしてるの?とつい目を凝らしちゃうんですよね。
場面が切り替わると、ぱっと見、特定できないから。
それが登場人物の誰であるのか。
劇場ならスクリーンが大きいからまた違うのかもしれませんけどね。
けどね、環境がどうであれ、それもせいぜい2時間が限界だと私は思うんですよ。
人間って、そんなに長く緊張を維持できるような仕組みになってないと思いますし、人体生理学的に。
2時間超えたあたりで湧き上がってくる感情は「もういいから許してくれ」または「なんでもいいから早く終わってくれ」。
内容うんぬんどころの話じゃないです。
面白いな、興味深いな、と感じる以前に苦行。
見続けること自体が苦行。
それでも気力を振り絞り、冬山登山にも似た心境で歯を食いしばってなんとか最後まで見て、その直後に抱いた感想を率直に述べるなら、4時間必要ない、以上、でしたね。
いや、あのね、ここまで長尺でありながら信じられないことにあんまり内容濃くないんですよ、この映画。
最後の30分ぐらいであらすじ全部語れてしまうんです。
途中の2時間程度、特になにも起きてないに等しい。
物語の落とし所もどこか70年代の日本映画風にペシミスティックで、決して目新しいとは言えないものでしたし。
いったいどうなってるんだこの監督?と思って少し調べてみたら、いわゆるスロー・シネマと呼ばれるジャンルの旗手として注目されてる人なんだとか。
で、スロー・シネマとはなんぞや?って話なんですが、作品の公式サイトに書かれていたことをそのまま転載するなら「タルコフスキー、アントニオーニ、アンゲロプロスらを起源に持ち、極端なロング・テイク(長回し)とそれに伴う反復とズレ、世界を観察するかのようなカメラの目線、希薄な物語性、といった際立った特徴をそなえた一連のアート・フィルム」である、とか。
「古典的な映画話法、つまり時間の省略と空間の飛躍によって効率的かつ劇的に物語を語るのではなく、画面内にあらわれる時空間を観客も共有して一緒に生きるような映画」とも記述されてました。
うーん、言ってることはわからなくはない、わからなくはないが、それに共鳴できるかどうかってのはまた別であって。
あえて時代を逆行して作家性にこだわる姿勢は好ましく思いますが、それも程度によるんじゃ、と私なんかは思ったりします。
これだけたくさんの娯楽があふれかえる世の中で、スロー・シネマに4時間捻出できる人ってほんと稀有だと思う次第。
ちなみにこのラヴ・ディアスって監督、フィリピン本国ではすでに16本ほど作品を発表しており、中には9時間近い上映時間の作品もあるとか。
決して蔑んでいるわけではない、嘲っているわけでもない、そこはほんと理解して欲しいんですけどね、あえてね、関西風に言わせてもらうなら「アホなんか?」と思います、ほんとに。
9時間って・・・。
度が過ぎるわ、マジで。
いやね、あ、いいな、と思える瞬間もあったんですよ、はっとする場面もありましたしね、でもそれを立て続けに4時間やられちゃうとね、疲れて全部消し飛んでしまうわけですよ。
もうドラマシリーズでいいじゃないか、と。
ダメなんでしょうけどね、きっと。
強烈に人を選ぶ映画だと思います。
よほどの好事家でないとこの映画を雄弁に語ることって、できないんじゃないでしょうか。
私は無理。
ブロックバスター映画が大流行な今の風潮が素晴らしいとは決して思いませんけど、だからといってこれがカウンターになるのかというと、少し違うような気もしますね。