アメリカ/スペイン 2016
監督 J・A・バヨナ
原作 パトリック・ネス
イギリスで最も権威ある児童文学賞、カーネギー賞とケイト・グリーナウェイ賞をダブル受賞した児童書を映画化した作品。
何故か12時7分になると現れるイチイの木の化物と、少年との関わり合いを描いたファンタジーです。
さて物語序盤、何が起こってるのか全くわかりません。
少年が母と二人暮らしらしいこと。
学校ではいじめられてて孤独なこと。
いきなり現れた木の化物は少年の意志に頓着することなく、強引に3つの物語を彼に聞かせようとしている、ってこと。
ただし4つ目の物語を語るのはお前自身だ、と化物は少年に強要している、ということ。
はあ?なんだこれ?ってな感じです。
ストーリーがどこに向かっているのか、何を描こうとしているのか、いや、だから脈絡なく登場した化物の要件はつまるところなんなの?と脳内を飛び交うのは疑問符ばかり。
有無を言わせず独自先行な印象が強いんですね、お話のリードの仕方が。
それがふいに色を変えるのは、化物が語る物語を映像化したシークエンス。
影絵というか切り絵というか、陰影にこだわって簡略化したアニメーション映像の鮮やかさが目を奪います。
アニメに詳しくないんでこれがどういう手法によるものなのかはわからないんですが、ちょっと見たことないな、と思わせる美麗さであり、高い幻想性を感じさせるものなんですよね。
実写との融合のさせ方も見事。
また、このアニメで描かれる挿話がね、実に身も蓋もなく現実的で。
童話調なんですけど、あけすけにニヒリスティックで夢も希望もなくて。
このあたりから、何を少年に伝えようとしているのだ化物は?と俄然興味が深まってくる。
やがて化物が、すべての物語を語り終える頃合いで、この作品がどういうお話であったのか、全体像がおおよそ理解できるようになってて。
ストーリーの核にあるのは、抗いようのない別離を受け止めざるを得ない少年の慟哭であり、苦悩。
それをどう表現するかという手段としてのファンタジーであり、化物。
終わってみれば、少年の内面を描く上で、そのロジックの道筋のつけかた、修辞技法の巧みさにただただ舌を巻いている状態。
私達は気づかされます。
子供は大人が考えているより、ずっと物事を深く理解しているのだ、ということに。
エンディングにおける母親の目線の演出、ラストシーンの物言わぬ語りかけも見事の一言。
語弊を怖れずに言うなら、こりゃ裏トトロであって、パンズ・ラビリンスに肉薄するダークファンタジーの力作、と言っていいんじゃないでしょうか。
散乱したストーリーの断片が、最後にはすべて収まるべきところに収まって形をなす構成力にも感服。
ビジュアルと物語性の両輪が、がっちり両側から支え合った優れた一作だと思います。
ま、中にはシニカルすぎる、と感じる人もいるかもしれない。
けれどこれをファンタジーの分野でやらかした野心あふるる挑戦を私は評価したいですね。
あえて言おう、これは見ておくべきだ、と。