白い家の少女

カナダ/フランス/アメリカ 1977
監督 ニコラス・ジェスネール
原作 レアード・コーニッグ

イギリスからアメリカの閉鎖的な村に引っ越してきた父娘の「奇妙な生活」を描いたスリラー。

何が奇妙か?というと13歳の少女が学校にも通わず、いつも家にいること、そして居るはずの父親が一向に見当たらないこと。

おせっかいな大家やその息子の干渉で、徐々に真相が明らかになっていくんですが、怖い、というより、どこか物悲しいのがこの作品の特徴ですかね。

そういった意味ではキャッチコピーに踊る「サイコキラー」とか「少女の冷酷な所業」という煽り文句はいささかズレているような気もします。

主として描かれているのは、なにがわずか13歳の少女をそのような境遇に追いやったか、ということ。

きちんと物語を追っていけばわかると思うんですが、主人公の少女であるリン、ほぼ不可抗力に近い形で選択肢を与えられないまま白い家で暮らすことを余儀なくされているんです。

差し伸べる手がなにもない状況で、少女が1人生きていくにはどうすればいいか?結果としての現状なんですね。

だから冷酷だとか残酷だとかじゃなくて、子供なりにどうやってこの生活を守るべきか、考えた末の行動であり、虚言だったりするわけです。

私はそこにむしろ痛々しさを感じたりもした。

早い話が両親そろってクソな場合、親を選べない子供はどうすればいいの?って物語なんですね。

中盤、ようやく現れた秘密の共有者であり、理解者が同じように世間から弾かれた片足の不自由な青年だった、という展開がまた哀しい。

何も持たない無力な二人が寄り添うようにして生活を守ろうとする姿が暗喩しているのは、周りの大人の愚鈍さ、無理解に対する痛烈な皮肉に他なりません。

ラストシーン、少女にここまでさせたものは一体何なんだったんだ、と胸が痛くなりましたね。

当時わずか14歳だったジョディ・フォスターが凄まじい存在感を放ってます。

さすが時代を経ても語り継がれるだけはある、と納得の一作。

わずか90分のコンパクトな作品ながら、描くべきは全て描ききった名作だと思いますね。

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