アメリカ 1982
監督 リドリー・スコット
原作 フィリップ・K・ディック
かの有名なディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか」を映画化した作品なわけですが、やっぱり原作を通過した人間からすると、なんか物足りない、ってのはどうしてもあるでしょうね。
あくまで個人的な感想ですが、ディックの原作自体、それほど突出した出来ではない、と実は私は思ってて。
結構つっこみどころ満載だったりするんです。
ただ、欠点を差し引いても、電気動物やマーサー教等、ディックならではのガジェット、世界観は魅力的ですし、フォークト=カンプフ感情移入度検査法が絶対であるがゆえ、それに引っかかると例え本物の人間であっても処分されてしまう設定、さらには最終的に、主人公が人間と人造人間の区別がわからなくなってしまうくだりは、魂の所在にまで言及しようかという勢いでゾクゾクさせられるものがあったことは確か。
で、問題なのは欠点を補うであろうそれらの肉付けを、リドリー・スコットは全部削ぎ落としちゃってることなんですよね。
なんとなく曖昧にサイバーパンクな未来世界、って感じで細部に言及することなく、ビジュアルで勝負してみました、みたいな。
いや、シナリオの整合性は増してる、とは思うんです。
俄然わかりやすくなってるのは間違いない。
でも人と人造人間が共存する世界へ果敢に踏み込もうとしてないから、どうしたってストーリーは薄いですし、そこに原作には存在した哲学もテーマもない。
正直、中盤ぐらいまではいささか退屈だったりしました。
単に逃亡者と、それを追う男のシンプルな追走劇なんですよね。
見せ場とばかりにハリソン・フォードの派手なアクションがあるわけでもないし、人に見えて人あらざる人造人間の演出に心を砕いてる風でもないですし。
唯一の救いはレプリカントのリーダーを演じたルトガー・ハウアーの「人間臭さが欠落した存在感」でしょうか。
これが演技なのか、もともとの資質なのかはちょっと判断つかないんですが、彼のキャラクター性が俄然作品にリアリズムを持ち込んでいたことは間違いないでしょうね。
私の場合、ハウアーが出演してなきゃ集中力は保てなかったかもしれない。
それを理解した上での結末だったのかどうかはわからないんですけど、あえてリドリー・スコットを賞賛するとするなら、エンディングをハウアー主軸で絵にしたこと、でしょうね。
さすがにあのシーンだけは見事!と膝を打った。
もう、ハリソン・フォード完全に食われてますし。
レプリカントの悲哀を語らずとも形にしてる、と思いましたね。
ま、本作、SF映画のオールタイム・ベストにも選出される1本ですから、私がこんなところであれこれ書いてたところで、なんら評価がゆるぐことはないと思うんですけど、決して完全無比なわけでも隙がないわけでもない、というのが総評。
時代を考えるなら映像は凄かった、とは思うんですけどね。