アメリカ 2017
監督 バリー・ジェンキンズ
原案 タレル・アルヴィン・マクレイニー

貧困地区に生まれた黒人少年が、大人になるまでの紆余曲折を3章仕立てで綴った人間ドラマ。
なるべく前情報を仕入れずに見たんですが、主人公シャロンの境遇は、おおよそ私が想像したとおり。
まともな人生を歩もうにも、まともな仕事がない。
まとまった金を手に入れようと思ったらドラッグの売人になるしかなく、周りにいる連中にお手本になるような人間は居ない。
主人公のオカンは売春婦で薬物中毒。
シャロンの懐からすら薬代をせびる有様。
内向的で無口なシャロンは学校ではイジメの対象。
どこにも彼が心の平安を得られる場所がない。
さらにはシャロン、成長していく過程において、自分がどうやらゲイであることに気づく。
もちろん理解者なんてどこにも居ない。
もう、ここまで列挙しただけで「神も仏もねえのか」ってレベルで悲運な境遇にシャロンがおかれていることを、誰もが納得出来ることだろうと思います。
自ら命を絶ったとしても、誰も抗弁できないですよね。
日本の恵まれた状況からは想像もつかない悪夢的環境。
ま、こうして文章にすると、なんだか見るのを躊躇してしまいそうな陰鬱さに支配されてる映画なのか、って感じですが、これが意外にも実際に見てみると「そうでもない」ってのがこの作品の最大の特徴でしょうか。
監督が露悪的描写を極力避けてる、というのも大きいでしょう。
例えばオカンが客と寝てるシーンとか、実際に注射針を腕に突き立ててるシーンとか、シャロンが同性を思って手淫に耽るシーンとか、この手の映画じゃありがちな「目をそむけたくあれこれ」が一切ないんですよね。
すべてが観客の想像にまかせる形で、監督は断片的なヒントしか与えてくれないんです。
私なんざ最後の最後まで本当にシャロンはゲイなのか?と疑っていたほど。
要所要所で小さな救いとなる人物が現れるのも、作品が底の見えない暗さにどっぷりひたるのを回避してる。
根本的な解決には程遠いんですけどね、ただただ真っ暗闇な道を灯りもなしに突き進む風ではないんですよね。
そこからなにが感じ取れるか、というと題材の重苦しさの割には与し易い口当たりの良さ。
そりゃ、楽しんで見れる感覚とは程遠いですよ。
けれど、ともすればこの映画って、人によっては「純愛映画だ」なんていう人も居るんじゃないか、と私は思ったりするんですね。
この作品を「現実を見据えていない」と言うつもりは毛頭ないんですが、あえて描かなかった生々しさに考えを及ばせるなら、雑多で猥雑な混沌に支配された日常の上澄みを丁寧にすくい上げてみせた映画、という解釈も成り立つ気がするんですよね。
それが正しいのか、間違ってるのか、私にはわかりません。
けれどその手法が、どこか物足りなさ、平坦とした印象をもたらしていることは確か。
伝わってくるものはお釣りを用意せねばならぬほど大量にあります。
でもこの映画がLGBTの現実に焦点を絞った一作であるとか、黒人貧困層の現実に目を向けた映画であるとかはちょっと違う気がする。
もちろん土台にあるのはそれです。
ただ、上モノが微妙に別物。
ソフィストケイトされているように思える表現手法が、アメリカの抱える差別であり、マイノリティの問題を私たちは決して見過ごしているわけじゃないんだ、とアピールするには格好であるが、本質は別である、というのはいささか穿った見方でしょうか。
台詞回しの秀逸さ、演出の巧みさ、トレヴァンテ・ローズの高い演技力等、見どころはいっぱいあるんで、どう総評すべきなのか悩む一作ですね。
アカデミー受賞作らしい、といえばらしいのかもしれません。