イギリス/フランス/アメリカ/香港 2016
監督 ジャスティン・カーゼル
脚本 マイケル・レスリー、アダム・クーパー、ビル・コラージュ
世界的に大ヒットしたアクションゲームを映画化した作品。
人間の自由意志をコントール出来るという「エデンの果実」を巡って対立する、アサシン教団とテンプル騎士団の暗闘が描かれてます。
ちょっとややこしいのは、実際に物語の舞台が十字軍の活躍した時代、というわけではなく、現代に生きる主人公が「遺伝子の記憶」を辿って自分の祖先である教団の暗殺者の人生をなぞる、という筋立てになってること。
ま、どっちかというとSFの範疇、と言えなくもありません。
で、なぜ主人公は祖先の記憶を辿っているか、というと歴史の間に消え失せた「エデンの果実」の行方を知るため、なんですね。
エデンの果実を利用して悪さをしようとする組織が主人公の背後には居るわけです。
主人公はそのまま組織の言いなりになるのか、そして「エデンの果実」は本当に存在するのか、が物語の見どころ。
えーと、もうね、ダラダラ書いても仕方がないんではっきり言っちゃいますけど、いかにも元ネタがゲームだわ、と嘆息するつっこみどころ満載です。
そもそもの設定からして無理がありすぎ。
実際に存在するのかどうかわからない「エデンの果実」のために毎年30億もの国家予算が割かれて秘密裏に研究施設が運営されてる、ってところからして少年漫画レベルの酔狂さであってですね。
だいたい「エデンの果実」ってなんなんだ、と。
作中では「エデンの果実には人間の遺伝子がすべて解読されて記されてる」とか、もっともらしいこと言ってましたけど、ヒトゲノム自体がすでに99%解読済みなのに、なんで膨大な予算をかけてわざわざ残り1%のために危ない橋を渡らにゃならんのかと。
あと10年も待てば研究者がすべて解読しますよ、って話であって。
主人公が祖先の記憶を遺伝子からたどる、というアイディアもデタラメすぎてついていけない。
後天的に身につけた獲得形質は遺伝しない、が生物学の常識なわけです。
いつから遺伝子はメモリーバンクになったんだ、と。
エピジェネティックスを考慮に入れたとしてもね、鮮明に祖先の記憶が遺伝子から蘇るなんてありえないわけです。
さらには記憶をよみがえらせるために大仰なマシンに被検体を接続して、記憶と同じ動きを再現するくだりに至ってはいくら疑似科学とはいえコストパフォーマンスが悪すぎるだろう、と失笑するしかない。
茶番に近い中途半端なファンタジーとしかいいようがないですね。
そりゃね、ゲームならこれでも良かったかもしれない。
ゲームはプレイする側をどう楽しませるか、が第一義にありますから。
多少の荒唐無稽は、それも彩り、と開き直っていいと思う。
映画は違うだろう、と。
なにもないところから観客を空想の世界に引き込まなきゃならんわけですから。
ハッタリのかまし方にも知恵を絞る必要があるわけです。
所詮作り物だから、と最初から世界観を丸投げしてるような内容に誰がのれるのか、という。
後半の親子関係に軸足を移した展開とかは悪くなかったんですが、わざわざこれを見るぐらいなら元ネタのゲームやったほうが楽しいんじゃないか?と思えた時点で私にとってはアウト。
ゲームファンが二次的に楽しむための一作でしょうね。
私は評価できないですね。