ドイツ 2016
監督 ラース・クラウメ
脚本 ラース・クラウメ、オリヴィエ・ゲーズ
ナチスの戦犯、アドルフ・アイヒマンを逮捕するのに大きく貢献した実在の検事、フリッツ・バウアーの執念の捜査を描いた実話もの。
さて、私は世界史に疎いんで、戦後ドイツがどのような形で復興を遂げていったのか、全く知らなかったんですが、この映画を見てまず驚かされたのは、裁かれるべき加害者であるはずのナチス親衛隊の要職にあった連中が、敗戦後ものうのうと国家の中枢部にもりぐりこんでそれなりの立場におさまっていたこと、ですね。
なんせ首相の側近で懐刀と呼ばれる人物が元ナチス、というんだからおだやかな話じゃない。
検事局にすらナチス残党はうようよしてて。
実質、罪を問われてるのは上層部に居た一握りの連中だけ、という状況なんです。
そりゃね、親衛隊全員を罰することが正しいとはいいません。
完全に白黒つけるやり方を繰り返すのは民主主義じゃなくて、脱すべきファシズムの再来だろうと思いますし。
けれど、復興にあえぐドイツで、自らが犯した所業を省みることもなく我が身の保身を謀る連中の姑息さにはやっぱり納得できないものがある、ってのが普通の市民感情だと思うんです。
これを腹ただしく思わない方がおかしい。
しかも連中は大物であるアイヒマンが逮捕されることをひどく怖れて、あれこれ妨害工作を主人公に仕掛けてくるんですね。
なぜか。
アイヒマンが逮捕され、尋問されることによって芋づる式に自分達の名前が出てきて罪を問われるのが嫌だから。
なんともひどい話です。
とても独裁主義から民主主義へ生まれ変わろうとする国家の内部事情とは思えない。
主人公であるフリッツ・バウアーは、そんな敵だらけともいえる状況下にあって、たった一人でアイヒマンの消息を追い続けます。
周りの人間はバウアーがユダヤ人だから復讐心に駆られているんだ、と揶揄しますが、本人はそんな雑音に耳を貸す素振りすらなし。
部下から「なぜそんなにのめり込んでるんだ」と聞かれてバウアーはこう答えます。
「それが正義だからだ」と。
いやもうね、じいさんかっこよすぎ、とあたしゃ震えた。
もう、このセリフだけで最後まで見れるわ、と確信。
さらにこの映画が凄かったのは、バウアーの内面、彼自身が実はバイセクシャルであったことにまで言及してること。
バウアー、若い頃に男娼を買って逮捕されたりしてるんですよね。
そこはもうLGBTにはほとんど理解がなかった時代ですから。
性器を触っただけで罪に問われることが刑法で明文化されてたりするんです。
つまり彼は、弾圧された性的マイノリティであり、家族をナチスに奪われたユダヤ人であり、職責を果たそうにも協力者が居ない孤独な老人であるという三重苦を抱えた人物、ということになる。
なのに誰を恨むわけでもなく、ただ己の不甲斐なさを叱責することで自分を奮い立たせ、保身にも出世にも興味を示さず単身敵陣に切り込んでいくんですよね。
こんな男が本当に居たのか、と唖然でしたね、私の場合。
また、穿った見方をするならね、これってLGBTの解放を謳う運動のその先を描いてる、とも捉えられると思うんですよ。
性の不一致は確かにアイデンティティの根幹に関わる大事な問題ですが、それすらもさしおいて信念を貫こうとするバウワーの姿に、私は生きることの意味を問われたような気がしましたね。
あえて難点を挙げるとするならいささかドラマが平坦に感じられることですが、実話ならではの凄みがそれを凌駕してます。
クライマックス、胸が熱くなるシーンが用意されてて心震えました。
さて、アイヒマンはバウワーの思惑通り、その罪を裁かれたのか否か。
ラストシーンもまさに実話ならでは、とだけ言っておきたいと思います。
1人の男の執念が歴史を変えた物語として、見て損はない一作だと思いますね。