アメリカ 2016
監督 シェーン・ブラック
脚本 シェーン・ブラック、アンソニー・パガロッツィ
70年代のロス・アンジェルスを舞台にした探偵もの。
主演がライアン・ゴズリング演じるマーチでそのバディがラッセル・クロウ演じるヒーリー。
マーチの娘である13歳のホリーも大人顔負けの機転で事件に関わっていったりする。
ライアン・ゴズリングのちょび髭酔いどれ探偵ぶりや、ラッセル・クロウのやたら腕っ節の強い示談屋キャラは見てるだけで楽しいですし、おしゃまなホリーの活躍も微笑ましくていい感じ。
キャステイングとプロットは合致してると思うんです。
キャラクターが生きてるな、とは思った。
でもね、キャラが「立って」はいないんですよね。
ゴズリングありきのマーチであり、ラッセルありきのヒーリーになってて、そもそも彼らはどういう人物なのかという部分、ここ全く掘り下げられてません。
なのでドラマそのものが基本的に薄っぺらい。
なにを信条として、なににこだわって生きてる奴らなのかぜんぜんわからないんで、物語の根幹たる最も重要な点「2人はどうして事件を追うのか」これが全く見えてこないんですね。
正義感なのか、金もうけなのか、それとも譲れないプライドでもあるのか、動機がまるで不透明。
結構やばい事件なんですよ、ガンガン人死んでて。
そんな危地になぜ2人はわざわざ首を突っ込むのか、なんの説明も物語には用意されてないんですね。
だから2人がどんなに危ない場面に追い詰められてもどこか他所の出来事に感じられて。
「やっぱり、この事件に首を突っ込むのはやめておこう」と言い出せばそれで終わりなんじゃないのか?と観客側がつっこめてしまう余白が常にあるから。
コメディっぽいアプローチが散見されるのにもかかわらず、ほとんど笑えなかったのも個人的には痛かった。
すごく地味なんですよね、笑いの仕掛け方が。
なんでそんなにソフトな路線なの?とこっちが考え込んでしまうほどの。
わざわざ70年代の設定で探偵をひっぱり出してきて何をやりたかったのか、どうにも見えてこない一作。
やっぱり貧乏私立探偵で嫁なし子持ちっつーぐらいなら、せめて「やせ我慢の美学」ぐらいは演出してほしかったですね。
でなきゃ単に不器用で要領が悪いだけじゃないか、で終わってしまう。
フィリップ・マーロウとまではいいませんが、わざわざロスを舞台にするぐらいならチャンドラーを意識するなり、向こうを張るなりぐらいのことはしてほしかったところ。
今や売れっ子になったゴズリングのスター映画、というのが私の結論。
そのつもりはなかったのかもしれませんけど、結果的にそうなってる。
ま、何も考えずに見てる分には楽しい、とは思うんですが。