マグニフィセント・セブン

アメリカ 2016
監督 アントワーン・フークア
脚本 ニック・ピラゾット、リチャード・ウェンク

マグニフィセント・セブン

黒沢明監督不朽の名作「七人の侍」を西部劇に翻案した作品。

まあ、リメイクってのはどうしたってハードルが上がってしまうもので。

いかに設定が根こそぎ変わってようと、筋立てはオリジナルをなぞらざるを得ないわけですから。

見る側はわかってるわけですよね、この先どういう展開になって、どう物語が締めくくられるのか。

そこをどう上手に裏切って、リメイクならではの独自色を出していくかがこういった企画の鍵となるのは間違いないわけで。

で、結論から言ってしまうと、フークア監督は「7人の侍」を形だけ「7人のガンマン」にしてどこか満足しちゃってる節がある。

なにが欠落してるのか、というとやはり動機なんですよね。

デンゼル・ワシントン演じるチム・チザムには虐げられた農民に手を貸す立派な理由がある。

でも他の6人には自らの命を賭してまで他人のために大軍勢に立ち向かう理由なんて、これっぽっちもないんですよね。

莫大な報酬が約束されてるわけでもない。

せめてこれ、天文学的数字の見返りとか、さりげなく描写してあったらもうちょっと素直に見れたんですけど。

食うのに困ってるわけでもない。

侍の見栄とか挟持に相当するような、ガンマンのプライドを刺激する何かがあったわけでもない。

守るべき愛する女がいるわけでもない。

特にインディアンが仲間になるくだりなんてもう、滅茶苦茶ですよ。

生肉一緒に食って俺とおまえはもうブラザー、って、原住民を馬鹿にしてんのか、って話であって。

また、クライマックス~オチに至るまでの改変も「七人の侍」のなにが凄かったのか、全然わかってないとしか言いようのない凡庸さで。

オリジナルが凄かったのは、最も非遇で虐げられていたはずの人たちが、実は最も「したたか」だったのかもしれない、と暗に示唆している点ですよね。

もちろんそれだけではないわけですけど。

でもそれがあったからこそ、単に娯楽大作の枠組みを超えて、殺し合うことの意味すら問う名作となりえたわけで。

そこを平気ですっ飛ばしてですね、代替になるものを用意するわけでもなく、安直に自己犠牲のヒロイズムで彩って終わり、って、なんだそれ、って言う他なく。

一言で言うなら軽い。

もうほんと上っ面だけなぞってる感じというか。

ただ、逆に言うなら、そんな風に多少の矛盾をものともせず、どんな題材もわかりやすいザ・アメリカなヒーロー映画に仕上げてしまう監督の手際に、ああフークアらしい、と思う自分が居たりもしますね。

サウスポーが良すぎたせいで、彼に過剰な期待をしてしまった部分はあったかもしれません。

元々物語の内面を掘り下げて描くようなタイプの監督じゃないですし。

「どこか得体の知れない正義みたいなものに殉ずる男たちのかっこよさ」だけを追うなら楽しめるかも。

オリジナルに心酔してる身としてはちょっと許容できなかったですね、残念。

あと、長すぎ。

1時間半で充分、この内容なら。

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