イギリス 2015
監督 ニコラス・ハイトナー
原作 アラン・ベネット

小さなバンに寝泊まりし、路上生活を送る老婆と壮年の劇作家との交流を描いた作品。
なんと実話が元らしいです。
原作者であるアラン・ベネットが実際に体験したことを本にしたものだとか。
私がストーリーを追っててまず感心したのは、日本と違ってロンドンって寛容な町なんだなあ、ってこと。
ま、70年代の話ですんで今より人間も規制も穏やかでゆるかったのかもしれませんけどね。
というのも婆さん、今日はあそこ、明日はあそこ、とオンボロのバンでちょこちょこ住宅街を無目的に移動するんですよ。
他人の家の前だろうと知ったこっちゃありません。
住人は戦々恐々です。
うわっ、今日は俺んちの前にバンを止めやがったぞ!みたいな。
しかも婆さん、かなり性格が悪い。
善意を施されても礼を言うどころか、悪態をつく始末。
さらには風呂に入らないものだから体臭がひどい。
さしずめ「移動型ゴミ屋敷とその住人」といったところでしょうか。
けれど住人たちは婆さんの存在を何がなんでも排斥しようとしないんですね。
これも町の風景、と受け入れている節がある。
そんな自由気ままな婆さんも、町で新たに施行された駐車規制でいよいよ車を止める場所がなくなるんですが、それを受け入れてやったのが主人公のアラン。
自宅の駐車場に車を止めてもいい、と申し出るんです。
そしたら婆さん、そのまま駐車場に15年居座る、という暴挙にでやがるんですが、その15年はアランにとってどういう日々だったのか、それがこの作品の主題。
とりあえず私が見てていいな、と思ったのは、監督が変に感動を煽ろうとか、劇的にしようとか、その手のあざとい演出を施してないこと。
むしろ単調に感じるほど語り口は淡々としてます。
方向性としては、邦題がイメージさせるような「心優しいドラマ」って感じじゃない。
冷静にエピソードひとつひとつを全体から俯瞰する目線があるというか。
劇作家としての主人公と、婆さんに接する主人公を別々の人格として一人二役とする、不可解でシュールなギミックがあったりもして、質感は独特です。
シビアなコメディ、と解釈してもいいかもしれません。
なんか突発的に爆笑させられる場面とかありましたしね。
「老いた母親と駐車場の老婆、ババア二人を否応なく抱える劇作家」と言うシチュエーションがなんだか意味なくおかしかったりもして。
プロットの強みは感じましたね。
物語そのものは特に大きな山場があるわけでもなく、ハラハラする展開があるわけでもないんですが、予想外にクライマックスは美しかったりするのが特筆すべき点でしょうか。
何か特別な事が起こってるわけじゃないのに、婆さんのなにげない一言でふいに涙腺が決壊しそうになりましたね、私は。
この作品が訴えたかったこと、それは「まともな人生を送っているとは言い難い人間だって、決して見たままじゃないんだ」だったと思います。
心の奥底に秘めているものは、私達以上に気高く真っ当だったりすることもあるのだ、と。
そこに感銘を受けた人にとっては名作となりうる一品じゃないでしょうか。
なんだか不思議な作品でしたね。
作為的に大げさな脚色をしないことが、逆に静かな感動呼ぶこともある、そんな風に私は思いました。
ま「ピアノ」はちょっとずるいですけどね。
あれはやっぱり、どうしたって心揺さぶられますよ。