2000年初出 松本光司
講談社ヤンマガKC 全6巻
松本光司と言えば「彼岸島」がすぐさま思い起こされるわけですが、私が作者を初めて知ったのは実はこの作品で、この時点ではまさかあんなとち狂った吸血鬼マンガを描くようになるなんて想像もしてなかった、ってのが本音。
とか言いながら本作、作者初の長編連載作品ながら、彼岸島以上に怪作だったりするんですけどね。
なにをどうこじらせたらこのようなものを描こうと思い至るのか、って感じ。
テーマになってるのは作者も後述している通り、女装と学生運動だったわけですが、そもそもその両者を合体させよう、という事自体に相当な無理があるわけで。
うまくいってる、とは言いがたいです。
相容れぬものを同一線上で描こうとしたせいで、どちらも消化不良気味に終わった、というのが実際のところか、と。
まずですね、最終的に、女装=普段の自分以上に機転が効く存在になれる変身スーツ、としちゃったのが失敗だったと思うんですね。
序盤で描かれてたのはあくまで屈折した性癖をもてあます優等生の心のありようだったはずなんです。
それがいつのまにか性を欠落させて、違う意味へとすり替わってしまった。
急進派な学生運動を0年代にもっともらしく存在させるための、外堀の埋め方も陳腐。
政治家の息子云々を持ち出して来た時点で、ああ、これはありえないわ、と辟易。
70年代じゃないんだから。
結局、後半の展開でおかしなヒロイズムを立脚させようとするから全部がゆがんでしまった、ってのが実状でしょうね。
その意味では評価できる点はあまりない。
ただ、 この作品が大胆きわまりなかったのは、あたかも後の男の娘ブームを予見したかのように、下ネタをも辞さず真正面から女装の淫靡さをモチーフとしたこと、でしょうね。
これは相当早かったように思います。
STOP!ひばりくんだってここまではやってない。
年上のお姉さんにおもちゃにされる女装少年、って、エロマンガでも当時はそんなのなかったはず。
少なくとも天下のヤングマガジンでニッチな変態性癖をあけっぴろげにする内容は、当時、自分の性癖に思い悩むジェンダーフリーな人たちにとって、勇気づけられるものだったかもしれません。
この作品に意味があった、としたらその1点でしょうね。
私は2度と読むことはないと思いますが、人によってはひょっとしたらバイブルになりうる作品かもしれません。