ドイツ 2015
監督 ジョシュ・ブローカー
脚本 ミヒャエル・ケンダ
人間のようにしゃべれば食事もし、煙草もふかせばドラッグもたしなむ生き人形ベラの奔放な行動に引っ掻き回されるカップルを描いた、ちょいと毒のあるコメディ。
キャッチコピーにあるように、本当に制作陣がTedを意識したのかどうかはわかりませんが、おさげの女の子の人形がヒロイン以上にしたたかでゲスであばずれ、ってのはその外見のギャップゆえおもしろい、ってのはありましたね。
詳しく説明してくれないんでよくわからないんですが、どうもベラはかつてテレビの世界か映画の世界で人形の外見のまま活躍してたみたいなんですね。
それが今は落ちぶれて住むところもない有様。
そのわがままで居丈高な性格を分析するまでもなく、ああこれは全盛期を過ぎたハリウッド女優のカリカチュアでありあてこすりなんだろうな、というのは見てて普通にわかる。
よくわからないのはなぜそれを人形でやったのか、という点。
ベラを取り巻く世界がベラと言う特異な存在を認知してるのか、それとも関わりがある人だけのもうひとつの現実なのか、そのあたりの基本設定が曖昧なせいもあるんですが、このキャラクターなら別に異物である必要がない、と私なんかは思ってしまう。
普通に人間の女優でいいじゃないか、と。
人形ならではの、人間にはまねのできない特殊な能力があるからこそプロットも生きてくるわけで。
要は四次元ポケットのないドラえもんが野比家に突然居候したところで、ただの役立たずな猫型ロボットでしかない、という話なわけです。
なにものび太の友達なり相談相手になるためだけにあんな世間の蔑視にさらされそうな奇妙な造形のシロモノを置いておく必要はない。
まずは人間の友達を作りなさい、のび太、って普通の親なら言いますよね。
結局、人形が女優気取りで色々引っ掻き回すのがおもしろいでしょう?笑えるでしょう?で、全部完結しちゃってるんですよね。
だから物語の落とし所も薄甘く陳腐。
なんで車に轢かれても死なないベラの狂言にあれほど大騒ぎしなきゃならんのか、と。
着想は決して嫌いじゃないです。
実際笑わせられたシーンもいくつかありましたし。
でも踏み込みが足りない。
人形にしたのはこういう理由があったからなんだよ、というのを明確に出来れば評価も全く変わってきた、と思うんですが、うーん、残念。
何も考えずに見る分には楽しいかもしれませんけどね。