ジョージア/フランス/イギリス/ドイツ 2014
監督 モフセン・マフマルバフ
脚本 モフセン・マフマルバフ、マルズィエ・メシュキニ

まあその、いやらしい話ながら、きっとこの映画ってズブズブの感動路線で、独裁者はきっと物語の途中で人間性に目覚めちゃったりもして、でも決してハッピーエンドになるはずもなくて、最後は孫一人が取り残されて、でもきっと孫は独裁者の最後の姿から言葉では伝えきれぬ何かを胸に刻んだりもして、そして彼は1人子供ながらに現実を知り、昨日までの殿下な自分との決別を決意するに違いない、きっとそうだ、ああやばい、こりゃハンカチ必須かも、わかっちゃいたけど泣かされる映画になってしまうかも、よーし、さあこい、準備は万端だ、のっかってやるよ畜生、と覚悟を決めて望んだというのに、あれ?
いやもう、本当に、あれ?って感じ。
クーデターによって追われる身となった大統領と孫の逃亡生活を描くという、とことん狙いすましたプロットながら、この盛り上がらなさはいったいどうしたことか、と。
びっくりするほど響いてくるものがなにもない。
要因を指摘するのは実はたやすかったりします。
中途半端に寓話風にしてしまったから、なんですね。
そもそも大統領がどれだけ悪逆非道なことをやらかして恨まれ、どういう人間性だから独裁者とまで呼ばれる羽目になったのか、 作品では一切描かれてないんです。
一方的に憎んでる人がわめきたててるだけ。
つまりは、ただなんかひどい施政を敷いた人みたい、という記号的キャラクターでしかない。
だから政権が崩壊して何を大統領は焦ってるのか、まるで伝わってこないし、その心情を想像できないんですね。
これって、穿った見方をするならね、孫の目線からとらえた大統領、という解釈もできるわけです。
子供に独裁者がどういうものであるか、深く理解できようはずもないですし。
要は、そのまま孫の目から見た逃避行をこの作品は追えばよかった。
ならば独裁者も記号でよかったし、身分を隠して逃げる姿にリアリティがなくてもかまわない。
なのに中途半端に現実味を付加するから初期設定の甘さが尾をひいてスリルのなさを招くていたらく、となる。
どっちつかずなんですね、結局は。
アイロニックなファンタジーにも地に足のついたドラマにもなりきれてない、という。
ラストシーンのセンスのなさにもやや閉口。
訴えたいことがあるのはよくわかったんですが、それをそのままセリフにして脇役に言わせてどうする、と。
映画なら、見てるだけでそれがわかる演出をほどこしてくださいよ、と。
ああ、いいな、と思えるシーンもいくつかあったんで、全否定したいわけじゃないんですが、定まらなさが痛恨、と思った次第。
この題材で心揺さぶられるものにならない、というのはやっぱり監督の責任でしょうね。
残念。
とりあえず涙を拭くために用意したハンカチ、洗って返せ。