日本 2015
監督 中村義洋
原作 小野不由美

いかにも小野不由美原作らしい、と言うのが見終わって最初に思った事。
愛読者の方々はよくご存知かと思いますが、とにかく小野さんって人はとんでもない量のエピソードと無数の登場人物達を十重二十重に積み重ねてリアリズムと臨場感を構築していくのが得意な作家さんなんですよね。
ああ、忠実に映像化してるなあ、と。
原作は読んでないんですが、中盤の「負の歴史ミステリ」とも言えそうな展開はまさに小野テイスト全開。
もう、映像追ってるだけで字ズラが目蓋の奥に浮かんできそう、というか。
ただですね、純粋に映画作品として見た場合、忠実であることが美点になっているか、というと決してそうではないわけで。
やっぱりね、情報を詰め込み過ぎてて、見てて面倒くさくなってくる部分があるのは否定できない、と思うんです。
本筋と無関係と思われるキャラまで逐一配置して、その都度主人公と絡ませるのは集中力を削ぐ要因にしかなっていないように私は感じた。
シナリオそのものは、なんだこの忌まわしさは、と充分ぞくぞくするものがあるんです。
要はそれをどう見せるか、の問題ですよね。
そこはもう回想シーンとか1人語りの証言シーンでまとめてダイジェスト、みたいな描写でよかったと思うんですよ。
そんなのに尺をとられるぐらいなら、主人公の心理描写や怖さの演出にもっと気をつかうべきだったのでは、と。
結局、主人公も主人公の夫も、そもそもどういう人なのか、と言うのが最後までよくわからないんです。
あるのは「作家である」というキャラを識別する記号だけ。
それはもうどの登場人物にも言えていて。
キャラに血が通ってないから、怖さそのものにもどこか真実味がない。
怖がらせ方自体が地味に通俗的、というのももちろんあるんですが、足をひっぱってるのはキャラに表情がないせいであるのが大きい。
また、さんざん煽った割には大したオチが待ってない、というのも頭の痛いところで。
原作はきっと想像させることで読者に嫌な余韻を残したのだろう、というのはなんとなくわかる。
でも映画なら、そこはあえて思い切った飛躍をするべきだったのでは、と私は思います。
やはりこれが大元だった、というのがはっきりしてこその連鎖だろう、と。
連鎖そのものを主題にしたところで黒沢清のCURE以上のものが出来るはずもなく。
どうせならなにも怪異は見せずにただひたすら徹底して不穏なだけ、で最後まで駒を進めたらまた違ったか、と思ったりもしたんですが、どうもベストセラーな原作に色々振り回されてしまったような印象を私は受けました。
竹内結子が抑えたいい演技をしていただけに残念。
余談ですが、作中に登場していた平岡芳明ってのはどう考えても平山夢明のことじゃないのか、と思ったんですが、どうなんでしょう。
佐々木蔵之助が演じるのか、とちょっと笑った。