アメリカ 2015
監督 スコット・クーパー
原作 ディック・レイア、ジェラード・オニール

実在のギャング、ジェームス・バルジャーの成り上がりから転落までを描いた犯罪もの。
このバルジャーという人物、現在も服役中らしく、アメリカでは有名な犯罪者らしいんですが、やっぱりまあ日本人としちゃあ馴染みが薄いんで、どうしたってまたこの手の映画か、ってのはあるわけです。
それこそワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカからスカーフェイス等々、似たような作品は次から次へと脳裏をよぎる。
この作品ならではのなにかがあったか、というとやっぱりそこは希薄だった、と言わざるを得ない。
もちろん脚色はあるんでしょうが、私にはほぼ忠実にその半生をなぞったのでは、と思える意外性のなさでしたね。
バルジャーの人物像もことさら特異なキャラクターだった、というわけでもありませんでしたし。
冷徹非情を旨とするも義を重んじる、ってたいていのギャングのボスがそうだと思うんですよ。
そこは事実を基に描かれているとはいえ、類型の枠をはみ出すものではなく、なにか新鮮な驚きがあったというわけでもない。
本当にあった話だからという点に寄りかかりすぎる、というのがこの手の映画の悪い部分だ、と私は常々思っていて。
ああ、現実が原作の罠にはまっちゃってるな、と。
まあ、それはある程度予測はしていたんですが。
じゃあなぜ予測しつつもあえて見たのか、というとやっぱり禿頭のジョニー・デップが気にかかったから、なんですね。
多分、デップの禿頭ってラスベガスをやっつけろ以来じゃないかと思うんです。
そこまでやってデップは何を表現したかったのか、と。
確かに気合の入った演技でした。
そこはかとなく狂気も漂ってた。
でもなんというか、どこか微妙に周りから浮いてるように見えて仕方がない。
感じ方はそれぞれかと思いますが、やっぱり特殊メイクとカラーコンタクトがもたらす違和感では、と私は思ったりもした。
なんだか1人だけ別世界の住人のようなんですね。
ティム・バートンのファンタジーじゃないんだから、いくら本人に似せるためとはいえ、わざわざ特殊メイクまでする必要があったのか、と私は疑問。
そこはデップなりの等身大なバルジャーを演じればそれでよかったんじゃないか、と。
例えばアンタッチャブルでデニーロはアル・カポネを演じてますが、それをまるっきり似てないからダメ、と酷評する人は居ないですよね。
あれはあれでデニーロなりに見事にアル・カポネだった。
なぜ、それができなかったんだろう、と思うわけです。
なにもデニーロのように前頭の髪の毛を抜いてまで役作りに挑むことはないと思いますが、似てないからヅラに特殊メイクは予防線の張りすぎじゃないのか、と。
デップの使い方を間違ってるような気がしてなりません。
つまんなかった、と言うわけではないんですが、なんだか妙な実録もの、としてあまりありがたくない印象で私の記憶には残りそう。
コメント
[…] 近作でいうならブラック・スキャンダルとほぼやってることは同じ。 […]