メキシコ 2000
監督 アレハンドロ・G・イニャリトゥ
脚本 ギジェルモ・アリアガ・ホルダン

イニャリトゥ監督の長編デビュー作。
唯一鑑賞済みのバードマンがああいう感じだったので若干の警戒はあったんですが、ああ、やっぱりこういう路線なのかと、どこか納得できるものがあったり、なかったり。
同一時間軸上で起こる3つの物語をオムニバス風に描いた作品なんですが、私が一番ひっかかったのはなぜこれをひとつの作品としてまとめる必要があったのか、という事。
それぞれのストーリーに魅力があるのは確かなんです。
兄嫁に横恋慕するオクタビオの話はそれだけで一作品として成立する、と思いますし、老いた工作員の話にしても翻弄される異母兄弟の諍いのシーンは屈指の見せ場だったと思う。
モデルと浮気する男の話も床下に閉じ込められた愛玩犬の存在が独特の不穏さを演出していて見事だと感じた。
でもですね、それぞれのエピソードが結果として有機的に絡み合わないんですね。
監督は過去と現在、未来を暗示してる、とコメントしてましたが、なにがどう暗示してるのか私にはよくわからなかった。
小さな接点はもちろんあるんです。
オクタビオの犬が工作員のところに行ってたりとか。
けれどそれが3つのエピソードの同居する必然性を説いているわけでは決してない。
「パルプフィクション」との相似性が一部では話題になったようですが、あの作品の場合、ただただ下品に軽妙な無駄話をスリージーにやってのけることに主眼をおいていたわけで、いうなれば壮大なシャレだと私は思っていて、構成以外に類似点があるとは考えられない。
近いな、と思ったのはポール・ハギス監督の「クラッシュ」ですが、本作より後年の発表である上、クラッシュにはちゃんとオチがある。
結局、監督はなにをどうしようとしていたのか、私の経験則、感性ではやっぱりよくわからない、というのが正直なところ。
これがエンディングでですね、工作員エル・チーボとオクタビオ、モデルのバレリアが一堂に会す、と言うなら納得できるんです。
別に三者すべてが、じゃなくてもいい。
例えばオクタビオの恋路に思わぬ形でエル・チーボが介入するとかね。
だけどそうはならない。
決して独りよがり、と言うわけではないですが、見る人を選ぶ作品になっているように私は思います。
おもしろくなかったのか?
そうじゃない。
そうじゃないんだが、なんかしっくりこない。
うーん、私とはいささか相性がよろしくなかった、ってことなのかもしれません。
はまる人は猛烈にはまる気はします。
ちなみにどうでもいいことですが、兄嫁ビッチすぎ。
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