アメリカ 2010
監督、脚本 クリストファー・ノーラン

こりゃもう、ド級のSFと言っていいと思います。
近年のハリウッドにおいて、こんなクソややこしくもマニアックな題材をきちんとエンターティメントに仕上げて、しかもヒットさせるなんて御技はもうクリストファー・ノーランにしかできないことでしょうね。
まあ、他人の精神に侵入する、潜る、というネタ自体はそれほど新しくはないと思うんです。
日本においては小松左京が78年に「ゴルディアスの結び目」で小説化してますし、確か海外にも似たSF小説があったはず。
ノーランが凄かったのは、それを「夢を共有する」と言う形で映像化したことでしょうね。
この共有、ってのがミソだと私は思う。
インターネットにおける仮想現実のあり方にIT産業の先駆者達は近年注目している、と聞きますが、夢の共有って、それにとても近い質感があるように思うんですね。
つまり、SFになじみのない人にとっても、突き放すことなく、設定になじみやすいよう、お膳立ての体裁が整えられている、ということ。
かといって、口うるさいSFファンに手ぬるいと感じさせる思慮のなさが目立つわけでもない。
夢の中で眠ることでさらに深い階層に潜る、といったアイディアや、階層の深さによって時間差が生じるといった相対性理論もびっくりのルール作りはマニアですら唸らされる見事な創造性といえるでしょう。
とにかくバランス感覚が絶妙なんですね。
考えなしに映像だけ追ってても充分楽しめるが、掘り下げれば掘り下げるほど唸らされるSFならではの奥深さもある、という。
さらに私が舌を巻いたのが、SFの器にコンゲーム的なスリルを持ち込んだこと。
色んな役割を持った人間が集まってミッションを成功させようとするストーリー展開は、近いところでいうなら「オーシャンズ11」とか、あのあたりとほとんど変わらない、と思うわけです。
主人公が夢を共有するには致命的ともいえる精神的問題を抱えている点にいたってはもはやダメ押しとすら言っていい周到さ。
また、これだけ非現実的な世界を描きながら、まるでアーティスティックじゃないのにも私は唸らされた。
徹底して現実的なんです。
街が捲り上がるシーンにしたって、無限回廊のシーンにしたって、落下中の車が第二階層に無重力を及ぼすシーンにしたって、全部理詰めなんですね。
それがここまで想像力を刺激するものなのか、というのが私にとっては驚きでしたね。
クリーチャーやサイバーな未来都市だけがSFなのではなく、本来SFとは現実から少しずれた延長線上にあるものなのだ、とあらためて実感。
文句なし名作でしょう。
誤解を恐れずにいうなら現時点における私にとってのノーラン最高傑作。