1968~71年初出 1巻 誕生
<収録短編>ポーラの涙/ぺールの涙/デイトははじめて/フランツとレーニ/詩子とよんでもういちど/男性失格/誕生/夏子の1日/あしたのともだち/みち子がきた日
購入当時はあまりの古さにとても最後まで読めなかったんですが、今回ほぼ20年ぶりぐらいに意を決して、フルマラソンにでもチャレンジするぐらいの気持ちで読み切りました。
・・・・きつかった。
本当にきつかった。
いやもうオッサンが読むようなものじゃないんですよほんと、それこそ1から10まで。
少女マンガ黎明期の本当の意味での「少女」のための、ある種の典型とも言え「少女マンガ」がここにはある。
全盛期の大島弓子の作風に通ずるものは私の感覚ではまだここにはないです。
多くの男性読者が嫌悪する「少女マンガそのもの」がこれでもか、と山盛り。
もう凄い、としか言いようがない。
これを楽しんで読める男性はリアルタイムで70年代初期の少女漫画を読んでいた人か、超熱烈な大島弓子ファンだけではなかろうか。
あたしゃ、この短編集について語る言葉を持たない。
良い悪い以前に苦しい。
この本に関しては全放棄です。
すいません。
なにもいえません。
乙女チックとはまさにこのことか、といまにも脳が溶けそうです。
1972~73年初出 2巻 ミモザ館でつかまえて
<収録短編>さよならヘルムート/鳥のように/星に行く汽車/わたしはネプチューン/なごりの夏の/雨の音がきこえる/風車/つぐみの森/ミモザ館でつかまえて
1巻の感想をもう一度お読みいただければよいかと。
絵柄は少しづつ整ってきてますが、全盛期に比べればまだ線が粗い感じ。
私には理解できない世界です・・・。
なんかもう、少女ってのは別世界の住人なのではあるまいか?とすら思えてくるリリカルの波状攻撃に小さく悲鳴を上げてしまいそうでございます。
なにもかもがすごすぎてもう・・・。
1973~74年初出 3巻 ジョカへ
<収録短編>春休み/ジョカへ/花!花!ピーピー草・・・花!/野イバラ荘園/季節風にのって/ロジオンロマーニイチラスコーリニコフ/キララ星人応答せよ
ようやくこの短編集あたりから全盛期の作者に通ずるものがぽつぽつと香りだしてきます。
一時期の韓国ドラマにも似た奇抜な設定、あり得ない偶然、なんだかしらんが人が死ぬ、という70年代を如実に反映したかのようなエキセントリックさはどうしたって鼻につくんですが、大島さんは少女漫画の少女漫画性を壊さぬままそこから一歩先んじようとしているように私には思えました。
でもまあ駄目な人は駄目だとは思う。
特にもう若くはない男性読者がいきなりこれを突きつけられて陶酔するなんて事はあり得ないと思うし、また逆に、ここで猛烈なカルチャーショックをうけられても怖いとは思うんですが、それでも私は年甲斐もなく「季節風にのって」や「キララ星人応答せよ」には少なからずぐっときた。
舞台や設定はどうしたって古くさいんですが、そこに生きる登場人物達の瑞々しさ、繊細さに心打たれた次第。
これは何かこれまでとは違うぞ・・という予感みたいなものを感じさせる1冊。
1974~76年初出 4巻 ほうせんか・ぱん
<収録短編>海にいるのは/ほうせんか・ぱん/ほたるの泉/銀の実を食べた/わがソドムへようこそ/F式蘭丸/10月はふたつある/リベルテ144時間/ヨハネが好き
SF好きな私の好みで言うなら注目作はやはり「F式蘭丸」か。
えてしてこの手のストーリーって、後味の悪いエンディングが待ちかまえていることが多いように思うんですが、これをドラマチックなハッピーエンドに誘導しちゃうんだからさすが大島弓子の一言。
「10月はふたつある」「ヨハネが好き」も秀作。
特に「ヨハネが好き」なんてほとんど「ひとつ屋根の下」のオリジナルみたいなもの。
他の誰にも描けない大島ブランドが徐々に完成しつつある感触ですね。
1975年初出 5巻 いちご物語
数少ない長編。
どの国をイメージしてるのかはよくわからないんですが、ラップランドと呼ばれる国からやってきた異邦人、いちごが慣れぬ日本の生活で巻き起こす騒動を描いたドタバタ調のラブロマンス。
まあその、すべてにおいて70年代的でベタ、ってのは少なからずありますね。
正直ストーリー最後の顛末まで全部予測がついて、全くその通りでしたし。
あえてどうしてもおさえておかねばならぬ一作だとは言い難いんですが、それでもラストにホロリときてしまう自分もいたりして、やっぱり大島さんのマンガが好きなんだろうなあ、と思ったりはしました。
ファンなら楽しめるかとは思います。
<追記>
ラップランドが実在する国あることを2018年にもなってようやく知りました。
ああ、恥ずかしい。
ラップランドがどういう国なのか、詳しく知ればこの作品の風合いも全く違って見えてくるかもしれません。
1976年初出 6巻 すべて緑になる日まで
<収録短編>全て緑になる日まで/アポストロフィS/ローズティーセレモニー/おりしもそのときチャイコフスキーが/七月七日に/きゃべつちょうちょ/さようなら女達
私が大島さんのマンガに強く惹かれだしたのは実はこの短編集からだったりする。
70年代の残滓、いわゆる韓国ドラマ的なクサさはまだ引きずってはいるんですが、それでも「アポストロフィS」は少女が少女という記号ではないことを示した見事な恋愛ドラマだと思うし、「七月七日に」はニール・ジョ-ダン監督の某作品にも似た仰天のオチに腰を抜かす秀作。
私の感覚ではこの辺りからどんどんおもしろくなってきた印象。
どう見ても少女マンガなのだけど、少女マンガを逸脱するセンテンスがあるのが、ただ事じゃないというか。
先入観なしで読んで欲しい、と思う一作。
男性読者でも琴線に触れるものが必ずあると思います。
1977~78年初出 7巻 バナナブレッドのプディング
<収録短編>いたい棘いたくない棘/夏の終わりのト短調/バナナブレッドのプディング/シンジラレネーション/ページワン
初読でものすごい衝撃を受けたのが実は「夏の終わりのト短調」だったりする。
ラブロマンスに依存しない少女マンガというのもあるのだ、とこれまでの自分の少女マンガに対する数々の偏見や誤読を切り伏せられた気がしました。
少女マンガの大看板たる大島さんがこれを描いていたから余計にそう思ったのかも知れませんが。
実際、この作品が発表された70年代後期にはまだまだ少女マンガに対する忌避感は根深かったように思うんですね。
その手の外野の雑音に振り回されることなく、従来の少女マンガとしての美点を損なわぬまま、さらなる高みへとドラマ性を深化させていった手腕は作者以外ではあり得なかったと思います。
誰にも描けない大島さんだけの少女マンガ。
この頃ぐらいから発刊される短編集にハズレなし。
名編揃いの一冊。
1978~81年初出 8巻 四月怪談
<収録短編>ヒーヒズヒム/草冠の姫/パスカルの群れ/たそがれは逢魔の時間/四月怪談/赤すいか黄すいか/雛菊物語/裏庭の柵をこえて
一編たりとも駄作なし。
普通にラブコメディだったりラブロマンスだったりするんですが、そのどれもが他のどこにもない大島印。
私が驚いたのは「黄昏は逢魔の時間」で、初老の男性の遠い初恋の思い出をよくまあここまで男性心理そのままに描けた事よな、と。
「裏庭の柵をこえて」も名編。
「四月怪談」なんて映画に出来るほどの完成度。
何ともかわいらしくて深い。
しかし絶望的ではないんですね。
そこに大島作品の永く愛される鍵があるように思います。
これまたオススメ。
1978年初出 9巻 綿の国星
動物を擬人化した漫画は昔からたくさんあるわけですが、間違いなく本作はその最高峰に位置する、と断言する次第。
なんて事はない子猫と飼い主の日常を描いた明確なオチもない漫画なんですが、これがもうわけもわからず胸がいっぱいになるんです。
最近ちらりと読んだときは意味もなく涙が出た。
こりゃいかんと、思わず周囲を確認したり。
なぜこんなにも心に訴えかけるものがあるのかさっぱり説明できないのですが、それこそが魅力なのかも、と思ったり。
ファンタジーというジャンルの奥底にある暖かな何かを、ページをめくった瞬間から満喫できる希有な作品。
おっさんがうかつに手を触れていいような漫画じゃありません。
薄汚れた自分と否応なく向き合わざるを得なくなります。
あまりにも可憐で、繊細で、夢見るようにたおやかで、漫画と言う表現形式でしか描けぬ10年にひとつの名作といっていいでしょう。
触れたら壊れてしまいそうになる、とはまさにこのことだと思います。
極北であり、頂点。
こんなのどこにもありません。
お財布が許すなら、この選集ではなく白泉社版の全7巻を購入されることをおすすめします。
1982~85年初出 10巻 ダリアの帯
<収録短編>桜時間/金髪の草原/夢虫・未草/水枕羽枕/あまのかぐやま/快速帆船/わたしの〆切りあとさきLIFE/ノン・レガート/ダリアの帯
80年代というバブリーで狂乱の時代を大島さんなりに意識したのかな、と思えるエキセントリックであけすけな題材もいくつかあるんですが、それが大きくらしさを損なうほどではなし。
ただまあ昔からの読者としては無理して時代に合わせなくとも・・・と感じたりも。
とはいえ、それでも綿の国星の手法を転用した「金髪の草原」や表題作「ダリアの帯」はやはり名作かと。
特にダリアの帯はこの短編によって救われた人も少なからず居たのでは、と思えるほどの秀作。
どう考えても絶望的な状況下にあってすらそれを全肯定してハッピーエンドにしてしまう物語作法はこれこそが癒される、と言うことなのでは、と思います。
お見事です。
ファンなら必携。