1981 日本
監督 りんたろう
脚本 山浦弘靖

子供の頃の刷り込みもあって、そりゃないわと思いつつも涙腺が緩むという理解不能な状態に陥る一作
YOUTUBEで無料公開してたので視聴。
公開当時、映画館で見て以来なので45年ぶりの再視聴となる。
45年って・・・自分で書いてて引くわ!
もうね、懐かしさで胸いっぱいでただただ賛美してしまいそうになるんですが、そこを何とかね、自分で自分の手綱をグイっとコントロールして冷静な評価をつづっていきたいな、と思っておりまして。
とはいえ、もう序盤から涙腺爆発しかけてたりはしたんですけどね。
だってね、来ているかどうかもわからない列車に鉄郎を乗せるために、仲間の大人たちが命を投げ出し、道を作るんですよ?
「わしらのせがれが行くといってるんだ、行かせてやろうじゃないか」の一言で、幾人もが折り重なるように凶弾に倒れていく。
私自身がもう鉄郎を送り出してやるべきオッサンの側の年齢に達していることもあってか、心が震えましたね。
ありがちな献身のヒロイズムと言っちゃえばそれまでなんですけど、オープニングからこんなことやられちゃあ身がもたんというか、どこかに連れていかれちゃうというか。
ま、物語自体は前作の焼き直しというか、前作で明かされなかった謎を明かしていくことに執心した内容になってて、引きが弱いな、と感じる部分がないわけじゃないんです。
鉄郎が999に乗って旅する理由も明確じゃないし、なし崩し的に終着駅へ連れていかれる感じなのも、最後にまたもや機械人間と大決戦なのも、なんだかストーリーを無理してでっち上げたように感じられて。
大人の事情で続編を作らざるを得なかったらしいんですが、それが悪い意味で反映されちゃってるな、と。
また、お前はGPS(1981年にはなかったけどね)で常に鉄郎を追ってるのか!と言いたくなるほど毎回毎回都合よく現れるハーロックとエメラルダスも、今見ると出オチやないかい!とツッコみたくなったり。
いかにスターシステムとはいえ、安売りしすぎだろ、みたいな。
ただね、それでもこの作品、終盤に琴線が触れまくる仕掛けがいくつか待ち構えていることは間違いなくて。
黒騎士がスターウォーズやないかい!とツッコむ人の気持ちはめちゃくちゃよくわかるんだけど、それでも黒騎士がハーロックと相対して「見届けてくれるか」などと言ってるシーンを見ると、松本イズムに震えた少年の頃の気持ちが怒涛の揺り戻しでもって今の私を震えさせるわけですよ。
『サイレンの魔女』に惑星大アンドロメダを襲わせた展開も、突拍子もない感じながら最後の決闘を彩る背景の役割としては秀逸だったと思います。
走る列車の上で、周りを機械化人が次から次へと宙に舞う中、二人が銃を構えて対峙するとか、絵面が世紀末すぎてほんと立ち眩みがした。
さらに私が感心したのは、幽霊列車が運んでいたものの正体。
鉄郎はまだ若いから激昂してたけど、これって資本主義社会の縮図、そのものじゃないか、と私なんかは思った。
何を犠牲にして豊かさ便利さは成り立っているのか?って、突き詰めればこういうことだと思うんですよね。
そこは45年目にしての発見でしたね。
それと結局、プロメシュームは、凄すぎる指導者であり開拓者ながらも毒親だったのか、と気づいたのも収穫でした。
それを踏まえた上で、メーテルの最後の独白のシーン、いやもう胸打たれましたね。
999でこんな複雑な親子のドラマを見せられるとは思ってなかったんでね。
正直、前作に比べると劣る面はありますが、あのエンディングからここにつなげた努力は買いたい、と思いましたね。
りんたろうの職人技な演出も良。
んで、やっぱりね、メーテルは青少年の永遠のあこがれだな、と今回確信した次第。
そりゃこんなの、多感な少年時代に見せられちゃあドはまりするわ、と。
今となっては色々思うこともあるんだけど、二作セットで永遠の名作でいいんじゃないでしょうかね。
若い人はこの映画見てどう感じるんだろうなあ、知りたいところです。
ねじレート 満点でええんとちゃいますか

