2025 アメリカ
監督、脚本 ライアン・クーグラー

仰天の展開を、それも必然と落とし込んだ手腕が秀逸
1932年のミシシッピ州クラークスデールにて、招かれざる客相手に、否応なく酒場での死闘を強いられる黒人たちを描いたアクションスリラー。
多分みんな言ってるんでしょうけど、ネタというかアイディアそのものはとある作品に酷似してます。
でもねー、これを「〇〇だ」と言ってしまうとねー、せっかくの『仕掛け』が半分ぐらい(半分以上?)ネタバレしてしまうんですよね。
ま、予告編見て、勘の鋭い人ならだいたいの想像はつくだろうとは思うんですけど。
で、『仕掛け』に言及せずに話を進めるのも非常に難しくてですね。
とりあえずね、なにに酷似してるか?だけでも書かせてくれんかな、って。
詳しく説明する、みたいなことはしませんので。
ネタバレに敏感な人はこの先、一切読まないようにしていただくとして。
えーとですね、タランティノとロドリゲスが組んだフロム・ダスク・ティル・ドーン(1996)とストーリーのひっくり返し方が同じなんですよね。
それならすでにネットで目にした、ってな人が当ブログの読者に多いと幸いなんですけど(ネタバレなしを標榜してるだけに)。
酒場を人外どもに包囲させて籠城サバイバル、ってのが全く同じ構図なんですね。
とはいえね、じゃあ興ざめだったのか?というと、そうでもなくて。
まるでジャンルが違う映画のように思わせておきながら、突然ホラー色満開な展開に驚かされたことは確かで。
というのもこの作品、まだまだ黒人差別が平然と横行していた時代の物語で、前半は「生きずらさをどう跳ね返していくのか?」みたいな部分に焦点をあてた作劇になっててですね、一見、成り上がりのストーリー風なんですね。
そこにいきなり人外どもを投入ですから。
しかも主人公たちが故郷に錦を飾る夜に、ですよ。
見てる側からすりゃ、アウトサイダー映画にいきなりロジャー・コーマンが殴り込みかけてきたみたいなもの。
で、ライアン・クーグラーがうまかったのは、それを突飛な思いつきの出たとこ勝負にしなかった点にあって。
やっとうまくいきそうな主人公たちをさらに追い込む非情さの向こう側に、当時の不遇な社会の在り方すらすらひっくり返してしまう『悪魔の救い』を用意してるんですよね。
つまり、たび重なる不条理の上塗りは、降って湧いた天災のようなものではなく、黒人が虐げられず生きていくための摂理を超えた選択の提示でもある、としているわけなんです。
なるほど、ゆえに1932年か、と。
フロム・ダスク・ティル・ドーンはある種悪ノリでしたが、同じようなアイディアを流用しつつもこちらはそれがドラマの成り行きに必要なピースとして機能してるのが凄いな、と。
おそらくロバート・ジョンソンのクロスロード伝説なんかもヒントになってるんでしょうけど、ストーリーに音楽(ブルースミュージック)を絡めてくる手腕も巧み。
特に、人外どもが楽器片手に歌い騒ぐシーンなんて、サバトも地味に見える狂いっぷりで、絵面の斬新さには思わず乾いた笑いがもれるほど。
物語終盤にはきっちり胸打つ場面や、予想外の後日談が用意されてる点も秀逸。
終わってみれば、大立ち回りあり、人間ドラマありの優れたエンタメじゃねえかよ、って。
そりゃ全米で大ヒットするわ、と納得。
しかしこれだけよくできた映画が「罪人たち」って、もうちょっとマシなタイトルなかったのかよ、と思いますね。
ライアン・クーグラー、侮れない映像作家だな、と認識を新たにした次第。
誰が見ても楽しめる一作だと思います。
おススメ。
ねじレート 90/100

