2024 アメリカ
監督、脚本 ロバート・エガース

リリー・ローズ・デップの硬軟自在な狂乱の演技が物語を牽引
吸血鬼映画の原点と言われる1922年公開のドイツ映画「吸血鬼ノスフェラトゥ」のリメイク。
吸血鬼ノスフェラトウは1979年にもリメイクされていて、私はオリジナルではなく、79年版を若いころに見てるはずなんですが、なにぶん、大昔の話なんでデティールはおろか、あらすじすら覚えていない始末でして。
うっすらと覚えているのは「物々しくて大仰な割にはさほど怖くなく、眠い」なんですけど、ろくな見識も考察力もなかったころの話なんで、自分のことながらあてにならんな、これは、と。
今回はウィッチ(2015)ライトハウス(2019)のロバート・エガースが監督務めてますしね、一筋縄ではいかないことはまず、間違いない。
いやね、今更ノスフェラトゥで何ができるっつーんだよ、さすがに古典すぎるわ、って正直私は思ってて。
吸血鬼映画とか、もう2周目3周目を過ぎて誰が周回遅れなのかすらわからんような状態になってると思うんですよ、量産されすぎてて。
新たに作るほどにリスクが増すような状態だと思うんですね。
ロバート・エガースがそれをわかってないはずがない。
それでもやるのか、って。
じゃあきっと何か勝算があるんだろう、と勝手に信じて見てみるか、と。
で、まあいきなり結論なんですが、さすがのロバート・エガースも温故知新とはいかなかったように思いますね。
やっぱりね、どうしようもなく古い。
もちろんこの古さってのは狙ったものでしょうし、良くいうならゴシックロマンなんでしょうけど、ゴシックをベースに発展していくものがないと、ただ懐古的だとしか思えんわけで。
ノスフェラトゥにすげえ愛情あるんだな、ってのはもちろん透けて見えてきました。
いちいち細部にこだわってるのもよくわかる。
でもねえ、キャラクターが物語に振り回されすぎちゃっててね、なんか古い戯曲みたいというか、古典臭が凄いんですよね。
やっぱり物語ありきでキャラを配置、動かしていくのは古い手法だと私は思うんです。
結果、登場人物たちに血が通わない。
落としどころを見定めて行動してるように見えるんですね。
そのおかげですごい絵が撮れてるのは確かなんですけど、でも人形劇みてるわけじゃないし、と思ったり。
唯一、私が唸らされたのはリリー・ローズ・デップの迫真の演技でしょうか。
リリー演じる神経を病んでるっぽい女が、ヒス起こして喚き散らすシーンがあるんですけど、これまで見た数多の映画のなかでも屈指の狂いっぷりで鳥肌立ちました。
さらけ出しすぎ、というか、もう演じてる人そのものが怖くなるレベル。
いつの間に彼女はこんなNGなしみたいな女優になったのか、と。
ミア・ゴスとタメをはる、といえばわかる人にはわかってもらえるかと。
リリーの存在が作品そのものを1ランクも2ランクも底上げしてることは間違いないでしょうね。
総ずるなら、ホラーというにはそれほど怖くはない、スリラーと呼ぶには様式が古臭い、って感じで、うーん、見る人を選ぶ作品だと思いますね。
ノスフェラトゥの来襲をペストの大流行と絡めた作劇はまあまあ興味深かったですが、監督の熱量ほど物語にのめりこめなかった、ってのが実状でしょうか。
ねじレート 79/100

